【道化師】



























 吐き気が否応なしに襲ってくる。


 触らないで。

 わたしの名前を呼ばないで。

 わたしを見ないで。


「どうぞ」

「あ、どうも」

「お砂糖かミルクは?」

「い、いえ、けっこうです」


 混乱した風を装いながら、ふと視線を感じて右斜め前を見た。


 そこには、楽しそうな表情をしたあの人。

 唯一、本当のわたしを知っている人。


「な、なにかっ?」

「いえ?面白いと思って見ているだけよ?」

「面白い、ですか?」


 困惑した表情を作りながら、首を傾げる。

 
 面白くなんてない。

 わたしは、今にも吐いてしまいそうなのに。


「百面相、してるよ?」


 白なんとか、という人に言われ、わたしは慌てて顔を押さえる仕草をする。

 自然と、顔も熱くさせていた。

 それに笑うその人達。


「可愛いわね、あなた」


 吐き気が、増した。


 その人は、知っているはずだ。

 その言葉が、わたしは何よりも嫌いだということに。

 それでも使うその人は、楽しいからだろうと思う。


 どうでも良いけれど、とにかく吐き気を押さえなければいけない。


「そ、そんなっ」

「同感。確かに、この子は可愛いわね」


 楽しそうにこちらを見てくる白なんとか。


 ・・・・本当に、吐きそうだ。

 ・・・・・気持ち悪い。


「あ、ありがとうございますっ」

「お姉さま方。勝手に祐巳に話しかけないでください」


 うるさい。

 勝手はどっちだ。


「あら、いつから祐巳さんはあなたの所有物になったの?」

「す、すいません、ちょっとおトイレに行って来ますっ」


 紅なんとかという人の言葉に、わたしは我慢が出来ずに立ち上がった。
 
 もちろん、その言葉が恥ずかしくてトイレに行くように見せかけて。


 部屋を出たわたしは、すぐに一回のトイレに入る。

 そのまま、便器に向かって胃の中にあるものを吐く。


 その時、トイレのドアが開いた。


「祐巳!」


 入ってきたのは、あの人。

 鳥居江利子さんだ。


 わたしの入っている個室に入ってきた江利子さんは、わたしの背中を撫でる。


「・・・・触らないでください」


 その手を振り払って、わたしは胃液を吐いた。

 胃液が咽を焼くけど、吐き気は止まらない。


「・・・・・ごめんなさい。ちょっと、やりすぎたわ」


 それに答えず、わたしは吐き気が収まるまで吐き続けていた。









 祐巳さんが部屋を出ていってすぐに、黄薔薇さまが何処か焦ったように部屋を出ていってしまう。


「お姉さま?」


 令さまが不思議そうに首を傾げている。
 
 他の方々も不思議そうに近くの人と顔を見あわせている。


「すみません。少し、様子を見てきます」


 私もそういって立ち上がり、部屋を出た。


「志摩子っ?」


 白薔薇さまに呼ばれたけれど、私は立ち止まらずにそのまま一階へ。

 洗面所のドアを開け、声をかけようとした。


 そんな私の耳に、黄薔薇さまの声が聞こえた。


「ごめんなさい。ちょっと、やりすぎたわ」


 いつも退屈そうな、でも祐巳さんを見る目は楽しそうだった江利子さま。

 それなのに、今の江利子さまの声は、とても辛そうで、悲しそう。


 祐巳さんの返事は聞こえない。

 ただ、何処か苦しそうな息づかいと、何かが吐きだされるような音。

 それを聞き、祐巳さんが吐いているのだと悟った。


「祐巳、ごめんね?」


 ドキリとした。


 黄薔薇さまが、祐巳さんを呼び捨てで呼んでいた。

 祥子さまのように、今知り合ったような風ではなく、以前から知り合いだったかのように。


「もう、あんなこと言わないわ」


 懇願するような声。

 いつもの黄薔薇さまからは想像も出来ない声。


「・・・・・祐巳」


 ジャーという、水を流した音がする。

 そして、


「もう良いです。あなたがどんな性格であろうと、わたしには関係ありませんから」


 祐巳さんと思しき声が聞こえた。

 けれど、その声はいつも教室で聞くような声ではなく、温度のない、感情さえも伺えない声。


「祐巳っ」

「ですが、わたしを見ての感想など言わないでください。吐き気がします」

「・・・・・・・ええ、わかっているわ」


 あの黄薔薇さまが素直に返事をする。

 それさえも許しているほどに、黄薔薇さまは祐巳さんに気を許しているということが、この会話だけで理解できた。


「祐巳・・・・」


 パシン。


 そんな音。

 微かだけれど、体が震えてしまった。


「触らないでください。他人に触られるのが嫌いだということくらいは、知っているはずです」

「・・・・・・・キスを、させてもくれないの?」

「っ!?」


 息をのむ。


 その時、階段を下りる音がした。


「人がきましたよ」


 祐巳さんの声が、いつも聞いている高い声に変わった。

 それでも、その声は冷たい。


「祐巳。いつまで洗面所にいるつもり?」


 上から聞こえる声と同時に、洗面所のドアが開いた。


「「っ!?」」


 私がいるということに驚いたらしい祐巳さんと黄薔薇さま。

 大きく目を見開いて、私を見ている。


「・・・・・・最悪」


 一気に表情のなくなった祐巳さんが、小さく呟いた。

 それだけで、体が震える。


「祐巳?」

「まるで、道化師ですね」


 不快そうに眉をよせてすぐに、祐巳さんの表情はいつもにもどった。


「は、はい!」


 祐巳さんがいなくなった後、私は黄薔薇さまからの鋭い視線を感じて黄薔薇さまへと目をむけた。


「いつから、聞いていたの?」

「・・・・・・・黄薔薇さまが、やりすぎたといって謝っているところからです」


 言おうかどうしようか迷ったけれど、嘘をつけずに私は素直に教えた。

 すると、さらに鋭くなる瞳。


「盗み聞きなんて、いい性格しているのね」

「ゆ、祐巳さんが、どうしても気になったんです。たまに、感情のない目をして笑ったりしていますから」


 睨みに体を震わせながら、私はなんとか言いきった。

 黄薔薇さまはそれに目を大きく見開く。


「気づいていたの?」

「・・・・と言うことは、黄薔薇さまもですか?」


 黄薔薇さまは私から目をはなし、2階へと目をむけた。

「私は、廊下で話をしているあの子を見たのよ。ちゃんと笑っていて、それでも違和感を感じたの。よく見てみると、目が笑っていないじゃない。それからね、たまにあの子が笑っているのとかを見ても、まるで普通の少女を演じているように見えたわ。ずっとね」

「ずっとって、いつからなんですか?」


 驚きつつそう問うと、黄薔薇さまは2階への階段を上りながら教えてくださった。


「私が、中学3年の頃からよ」


 ということは、祐巳さんは中1の頃からすでに元気な祐巳さんを演じていたことになる。

 あまりの長さに、私は目を大きく見開いた。


「中学を卒業する少し前に、あの子に直接聞いてみたの。そうしたら、本当の姿になってくれて、今がある、というわけ」


 黄薔薇さまはそういって、2階へと消えていき。

 私は、予想外なことにしばらく固まって2階を見つめていた。


 その予想外とは、祐巳さんのことに関してなのか。

 それとも、祐巳さんと黄薔薇さまの関係に関してなのか。


 それは、私自身もわからなかった。
















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