【人形】
「あ、おはよう、祐巳っ」
「・・・・おはようございます」
能面のような無表情さで青年、福沢祐麒に挨拶を返すのは福沢祐巳。
制服姿で下へとおりていく祐巳の後ろ姿を、祐麒は悲しげに見つめていた。
下におりた祐巳は、そのままリビングへと向かう。
「あら、おはよう、祐巳ちゃん」
「おはよう、祐巳」
「おはようございます」
男女が笑顔で挨拶をしてくるが、祐巳は変わらず無表情に頭を下げるのみ。
頭を下げ、椅子に座った祐巳はテーブルにのっている朝食を食べ始めた。
自分を、悲しそうに見つめてくる視線を無視しながら。
「ごちそうさまでした」
パン一枚を食べ終えた祐巳は椅子から立ち、使ったお皿を洗いリビングを出ていく。
「・・・・・・まだ、わたしたちに心を許してくれないのね」
「それでも、素の姿を見せてくれるだけ、他の者達よりもマシなんだろうな」
女性は泣きそうに、男性は辛そうに呟いていた。
祐巳は一人、リビングを出ると玄関に立っていた。
ドアノブに手をかけ、目をつぶる。
そして、目を開けた瞬間には能面のような無表情はなかった。
あるのは、明るい表情。
その表情で、祐巳は玄関のドアを開けて外にでる。
そう、偽りの世界へ。
家での感情のない表情はなりを潜め、あるのは元気で普通の少女の表情。
あくまで普通の少女。
目立つこともなく、普通を演じる祐巳。
「おはよう、今日も元気そうね、祐巳ちゃん」
「ごきげんよう!はい、元気だけが取り柄ですから!」
ニッコリと笑って、近所のおばさんに挨拶をする。
考えずとも、体が知っているかのように演じる道化師。
何年も、普通の少女を演じてきたのだ。
今更、欠陥があるはずもない。
誰もが騙される、仮面。
そして、年頃にはありがちな憧れの人、というのも作った。
適当に皆が憧れている少女を。
山百合会というものに所属し、全校生徒の憧れの的の中の一人だ。
その少女の名前は、小笠原祥子。
その少女に憧れ、その少女のことを話す時は興奮し、頬を紅潮させてみせる。
けれど、実際祐巳には、4大感情が存在しない。
悲しむ、楽しむ、喜ぶ、怒る。
それらが存在しない、虚無の心。
それを、偽りの心で覆い隠し、自分以外の人間と接する祐巳。
作り上げた、祐巳という存在は、きっとこう行動するであろう。
それで祐巳は行動する。
自分の作り上げた、否、今の祐巳になる前の、明るく元気な祐巳がどう行動するかを予想して。
それに気づくこともなく、誰もが祐巳の外見に騙される。
いつも見せている祐巳が、人形であることも知らずに。
校門を通り、いつものようにマリア様に向かって両手重ね、祈りを捧げる祐巳。
けれど、本当に祈りを捧げているわけではない。
ただのポーズだ。
普通の少女を演じる祐巳にとって、マリア様に祈るのは必需品。
もし祈りを捧げなければ、この学校では異質となるから。
祐巳はポーズをとき、学校へと向かう。
そんな祐巳に、誰かが声をかけてきた。
「お待ちなさい」
祐巳が体全体で振り返る。
そして、声をかけてきた人物を見て目を見開いてみせる。
「わ、わたしですか?」
どもりを入れる。
憧れている人物から声をかけられれば、誰だってそうだろうと思うから。
「私が声をかけたのはあなた。間違いなくってよ」
近づいてくるその人物、祥子。
祐巳は、祥子の瞳が微かに揺れているのを見、恥ずかしそうに下を向いて見せながら、小さく呟いた。
「低血圧」
もちろん、それが聞こえているはずもなく祥子は、
「持って」
そういって祐巳に鞄を差し出す。
「はっ、はい」
渡された鞄を祐巳が受けとると、祥子の手が祐巳のタイへと伸びる。
「タイが曲がっているわ」
だからなんだ。
祐巳は、表では恥ずかしそうな表情を作りながらそう思う。
「身だしなみはきちんとね?マリア様がみていてよ」
祥子はそういい、祐巳から鞄を取ると去っていった。
その後ろ姿を呆然としたように見つめているように見せながら、祐巳は思う。
「(マリア様なんか、この世に存在しない)」と。
「祐巳さん、ごきげんよう」
「ごきげんよう、桂さん」
笑顔で挨拶をしてきた、同じクラスの桂に同じように笑顔で挨拶を返す祐巳。
「ごきげんよう、祐巳さん」
「ごきげんよう、蔦子さん」
蔦子にも、ニッコリと笑顔を向け、他のクラスメイト達にも挨拶を返しながら祐巳は自分の席に座る。
「祐巳さん、これ」
祐巳の前の席に蔦子は座り、何かを机の上に置いた。
写真だ。
「あ」
驚いたような表情を作り、それからすぐにその写真をとる。
「こ、これっ」
これが何?
表と裏で違うことを思いながら、祐巳は蔦子を見つめた。
そんな裏の祐巳など気づくことなく、蔦子はニヤリと笑っている。
「結構、良く撮れているでしょう?欲しい?」
「欲しい!」
そう答えながら、祐巳は吐き気を感じていた。
祐巳は、写真やビデオといったものに撮られるのが何よりも嫌いだった。
自分という存在がいた証など、いらなかったから。
「良いわよ。ただし、条件があるわ」
「条件?」
首を傾げて見せる祐巳。
こんなものを貰っても、家に帰ってすぐに破り捨てるけど。
「ええ。この写真、今年一番のできなのよ。だから、文化祭で展示したいの。その了承を、祥子さまにとってきてくれないかしら?」
吐き気が増した。
冗談じゃない。
祐巳は思う。
「えええええぇぇぇぇ!!?」
それでも祐巳は、その激しい吐き気を押し殺すかのように、大きな声をあげた。
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