【かつての私】































 私は元来、非常識なことは信じないタイプです。

 本を読むことは好きですが、哲学書を好みますし。

 恋愛小説などは興味がありません。

 同時に、異性に対しても興味を覚えません。


 ですが、そんな私が一番非常識であると、認めざるを得ないのもまた事実。

 何故なら私は、


 転生者であるからです。


 私は前世で、普通の高校生でした。

 いえ、普通の、というにはいささか病弱ではありましたが。


 かつての私は、赤ん坊の頃に原因不明の菌に身体を蝕まれました。

 ゆえに無菌室から一歩も出たことはなく。

 空や海、といったものも写真でしか見たことがなく。

 だからこそ、私にとって唯一の娯楽は本でした。


 刻一刻と迫る死期を感じながら、

 かといって、外に出る、空を見ることさえも叶わず。


 そんなつまらない人生に幕が下りたのは、19歳の頃。


 高校生、だなんて本当は言えません。

 それでも、醜く生に縋りついて、ようやく得た偽りの”高校生”という称号。


 学校になんて一度も行ったことが無い私が、

 足掻いて足掻いて、

 生を渇望して、


 だというのに、その数日後に私は無機質なベッドの上で、つまらない人生を終えたのです。


 ああ、死ぬのだと。

 あれほど醜く縋りついていたものが、あっさりとこの手から離れるのだと。

 そう悟るのは、難しいことではありませんでした。


 そう、私の人生はそれで終わるはずだったのです。

 つまらない、味気ない、無価値なそんな人生が。


 私は、非常識なことは信じません。

 ありえないことは信じません。


 奇跡なんて信じません。


 何故ならそんなもの、信じても無駄なのですから。


 ですが、そんな私が体験した非常識な出来事。

 死んだはずなのに、気がつけば私は赤ん坊としてそこにあって。

 有り得ないことです。

 本来ならば、頭がおかしいと思われるような。

 けれど、私はそんな有り得ないことを経験しました。


 それが、”転生”です。


 そして、”魔法”です。


 もちろん私も始め、自分が赤ん坊であることに気づいたときは混乱しました。

 混乱して。

 ですが、それ以上に歓喜したのです。


 自分の目で空を見ることができるのだと。

 この身体で、風を感じることができるのだと。

 この足で大地を踏みしめることができるのだと


 それは私の求め続けたものでした。

 それは、私が諦めていたものでした。


 色々なモノを見て。

 色々なモノを感じて。

 色々なものに触れて。


 それができることに、私は歓喜しました。

 皮と骨だけでしかなかった私の体は、もうないのだと。


 どれほどの喜びを感じたでしょう。

 どれほどの幸せを感じたでしょう。


 両親は、泣き声をあげずに泣き続ける赤ん坊。

 この場合、もちろん私ですが。

 そんな奇怪ともいえる私を心配してくれていたようですが、それさえも視界に入らないくらいの喜びだったのです。


 歳を経て泣くことはなくなりましたが、代わりに様々なことにチャレンジしました。

 今までできなかったこと。


 何故前世の記憶があるのか、私にはわかりません。

 輪廻転生、という現象も信じてはいませんでしたし。

 ですが、それは”奇跡”でした。

 求め、諦め、絶望し、けれども本当は心の底で求めていたものでした。


 私は成長し、習い事を始めました。

 特に精を出したのは”中国拳法”です。

 何故それだったのかといえば、空手などといったものはありきたりだったからです。

 せっかく好きに動かせる身体になれたんですから、他の人があまり学ばないようなものを習いたかったんです。


 もちろん、本に対する興味を失うことはありません。

 特に、こちら祖父が哲学書の名のある著者であることもありましたし。


 もっとも、彼は数年前に死んでしまい、ずいぶんショックを受けましたが。


 それと、上記でのべたように”魔法”というものも知りました。

 あれは小学生の高学年になるかならないかの頃でしょうか。


 私は家への帰り道、鬼に出会い。

 そうして、現れた”魔法使い”という存在に出会ったのです。


 興味を覚えた、といえばいいでしょうか。

 確かに、短慮と言われてしまうのも否めません。

 ですが、それが飾らない私の本心でもあります。


 何も出来なかった”かつて”。

 ただ諦めることしかできなかった”かつて”。


 私は、欲求を抑えることがなかなか難しかったのです。

 特に、好きなことをできる今の私には。































 中学生になった私は今、麻帆良学園に通っています。

 そこは魔法使い達が全体の1/10の割りあいでいるそうです。

 そしてその”1”の中に、一応私も含まれているといえるでしょう。

 といっても、私は魔法学校に通ったわけでもないので、基礎だけを教えてもらい後はほぼ独学ですが。


 それにしても驚きました。

 まさかクラスメイトに、あのマクダウェルさんがいるとは思ってもみなかったので。

 もちろん、私はマホネットに表記されていた事柄を、実際に見てもいないのに信じるつもりはありませんが。


 私から言わせていただければ、魔法使いは少しおかしいです。

 ”英雄”だの”悪”だの”正義”だの、常軌を逸しているとしか思えません。

 いえ、正確に言うならば”正義”という言葉に酔い過ぎている、と言えます。

 それは私が元一般人だったからなのか、それとも前世のことがあるからなのか。

 それはわかりませんが、彼らはあまりにも自分たちの掲げるモノを盲信しすぎていると、私は思います。


 かつて、読んだことがあります。

 1人殺せば人殺し、10人殺せば殺人鬼、100人殺せば英雄。

 前世での言葉なので正確な数などはもしかしたら間違えているかもしれませんが、数など問題ではなく。

 要するに、彼らの言うサウザンドマスター、”英雄”とは突き詰めれば、人殺しでしかないのです。

 人殺しでしかないにもかかわらず、彼らは”ナギ・スプリングフィールド”を称え、同じように人を殺してきたマクダウェルさんを”悪”だと罵ります。

 なぜか、それはマクダウェルさんが人間ではなく”吸血鬼”だからです。

 そして、”英雄”が自分たちにとって都合のいい働きをしたからです。


 たったそれだけのことで、魔法使い達は彼女を憎みます、怨みます。

 そして、怯えます。


 私には、その心が理解できません。

 マクダウェルさんに知り合いや身内を殺されたというのならわかりますが、彼らは違うのです。

 ただ彼女が自分たちとは違うから。

 勝手に彼女を悪に仕立て上げ。


 真祖になった経緯も、彼らは自分から人の道を踏み外した外道、と罵りますが、誰から聞いたんですか?

 マクダウェルさん本人から聞いたんですか?

 違うでしょう。

 にも関わらず彼らは決め付ける、その行為が私は嫌いです。


 大方、自分たちが正義でありたいがために悪がいなければいけない、と無意識に思っての行為でしょう。

 特にそれが如実なのは、高等部の高音、という女生徒。

 彼女だけではなく他にもおり、私の知らない者を含めればどれほどいるのか・・・。

 彼らは、滅ぼすべき悪を求めているに過ぎないのです。

 自分たちが、正義という魔酒に酔い続けるために。


 私は、自分の目で見たことしか信じません。

 ゆえに、彼らに何度言われたとしても、知りもしないのに決め付けることはできません。

 彼らのように傲慢に、盲信することはできません。


 私は、諦めていることしかできなかった”かつて”ではないのです。

 伝え聞いたものを想像することしかできずにいた”かつて”ではないのです。


 今は、空も、海も、大地も。

 こうして、見て聞いて感じて。

 そうすることが出来るようになりました。

 ならば、かつてのように想像して終わらせる必要などないのです。


 第一私には、マクダウェルさんの瞳が泣いているようにしか見えないのですから。
























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