【仮面】



























 朝、祥子さまとお会いした。

 それも、タイを直していただいた。


 ドキドキドキドキ。

 それが顔に出てなかっただろうか?

 心配。


 だって、わたし、昨日見られちゃったんです。

 素顔を。








 時価数億円とも言われる、光を当てれば七色に見える光を反射する、10カラットのダイア。

 それがなぜ日本にあるのかなんて祐巳は興味ないが、その日の夜、祐巳はそれを盗んだ。

 それを投げては受け止めて投げては受け止めてを繰り返しながら、祐巳は高い木の先に立っていた。


 幼いころから怪盗になるための訓練を受けていた祐巳には、そんなこと朝飯前である。


「わたしにはまだ、わからないな〜。こんなのに、億単位のお金を出す人の気持ち」


 祐巳には、それにそれほど魅力を感じない。

 月に透かしてみても、月のほうが魅力的で、幻想的に見えた。


 ――― ギィ


 その音にハッと振り返る祐巳。

 振り返った先には、1人の少女とも女性とも呼べないくらいの人物が。


「あなた・・・・!」


 向こうも祐巳に気づき、目を見開き口を押さえた。


 その人物に、祐巳は見覚えがあった。

 紅薔薇のつぼみと呼ばれている、生徒会役員だ。


 そしてそのとき、祐巳は珍しく仮面をはずしていた。

 不覚にも、至近距離で見られてしまったこの時に。


 祐巳はすぐに仮面をつけ、羽を広げて飛び立った。

 いつもより、何倍も速いスピードで。














「(バレたかな?バレてないよね?けど、なんか妙に見られてたような・・・・)」


 若干青い顔で教室に入ってきた祐巳。

 昨晩は、大人の顔だし、なにより一般生徒の自分が祥子と顔を合わせることなどないと思っていたからまだ余裕があった。

 だが、早々に会い、なおかつ妙に顔を見つめられていたような気がして、気が気じゃない。


 そんな彼女を出迎えたのは、きょとんとした桂だった。


「祐巳さん、一体どうしたの?顔色が悪いわよ?」

「え?そ、そう・・・?」

「ええ。どうしたの?もしかして、痴漢にでもあった?」

「そ、そういうんじゃないけど・・・」

「なら、なにがったの?」


 心配そうに問いかけてくる級友に、祐巳は目を泳がせる。

 けれど、言うまでその顔で見られそうな気がして、祐巳は小さく息を吐いた。


「実はね・・・」


 昨晩のことはもちろん言わず、今しがた起こったことだけをのべた。

 あえて、山百合会のメンバーである祥子にタイを直されてしまった、と恥ずかしいところを見られて凹んでいる、といったニュアンスで。


「なるほどね〜。けど祐巳さん、スターは一般人のことなんてそれほど覚えてないと思うわよ?」

「そ、そうかな?」

「ええ。祐巳さんだって、そこらにいる蟻なんて覚えてないでしょう?」

「(その例えは、ひどく傷つきますが・・・けど、)そ、そうだよねっ」

「そうそう」


 うんうんうなずく桂に、祐巳は少しだけホッとする。


 けれど、


「(でも、夜の姿を見られたのは痛いな〜・・・・)」


 そう思ってしまう。


「まあ、印象付けたかったら、謝りに行くのも手よね」

「そ、それはちょっと!(これ以上、顔を見られるのは勘弁してほしい!)」


 心臓が持たないから!


 そう思い、慌てて手を横に振る祐巳に、そうよね。なんて桂は笑った。

 本人も、冗談のつもりだったらしい。



 しかし、数時間後、とんでもないこととなる。





「きょ、か・・・?」


 口端を引きつらせて、祐巳はやっとこさその言葉を漏らした。


 蔦子が祐巳にひらひらと一枚の写真を見せている。

 前回のこともあり、あまり写真に良い思い出のない祐巳だったが、そこにはますます写真が嫌いになりそうなものが写っていた。


 数時間前、あの酷くドキドキした瞬間が。


「ええ。良い出来でしょう?これと夜蝶様の写真を文化祭に展示しようと思うの」

「凄いじゃない!祐巳さん!」

「桂さんはわかってくれると思ってたわ。まるで、本当の姉妹(スール)じゃない?タイトルは、『躾』なんてどう?」

「え、えっと、わたしはちょっと、嫌かな、なんて・・・(っていうか、両方ともわたしだし・・・)」


 あはは、と乾いた笑いをこぼす祐巳を、2組の視線が射抜いた。


「なんでよ!こんなに素晴らしい写真を嫌だなんて!」

「そうよ!祐巳さんがこんなに可愛く写るなんて、そうそうないわよ!?」

「あれ?なんか、凄い侮辱されてない?わたし」


 桂と蔦子、特に後者の言葉に、祐巳は違う意味で頬を引きつらせた。


「とにかく、許可を取りに行くわよ!」

「えええぇ!?決定!?」

「当然じゃない!桂さんは?一緒にどう?」

「行くわ!と言いたいところだけど、今日は部活で重要なことを決めるから、行けないのよね・・・・」


 大きなため息をつく桂に、残念そうな蔦子。

 祐巳は目をそらし、窓の外へと目を向けた。


「あ〜、とっても良い天気」


 俗に言う、現実逃避だった。















「プティ・・・スール・・・?」


 全員が唖然とした顔で祥子を見た。

 祐巳なんて、魂が抜けそうである。


「これは夢・・・・これは夢・・・・」


 隣にいる祥子にさえ聞こえない声で、祐巳は現実逃避をするために呟く。


 実は、バレていないかが気になって祥子をちらちら見ていたことが、周りどころか祥子でさえも自分のファンだと思ったゆえの強行だったりする。


「・・・・そう。お名前はなんとおっしゃるの?」

「お姉さま方に自己紹介なさい」


 背中を軽く押され、祐巳は我にかえり、祥子を見上げた。


「・・・自己紹介なさいと言ったのよ?聞こえなかったの?」

「え?あ、ふ、福沢祐巳ですっ」


 若干キレ気味の祥子の顔を見て、祐巳は慌てて頭を下げた。

 頭の中は混乱したままだが。


「その福沢祐巳さんが、妹(プティ・スール)だと?けれど、私には初めて会ったようにしか見えないわ」

「・・・・初めて会ったわけではありませんわ」


 江利子に答えた祥子の言葉に、祐巳の心臓がドキッ!と脈打つ。


「(まずいまずいまずい!)」

「そうなの?だったら、どこで会ったのかしら?」


 楽しそうに笑った聖が祥子に問いかければ、祥子は目を泳がせた。

 それを見て、大丈夫かも、とひっそり思う。


「それは・・・・お教えする必要性を感じませんわ」

「あら」


 三薔薇が笑って顔を見合わせた。

 意地悪な笑み。


 祐巳は嫌な予感がして、蔦子へと目を向けた。

 しかし、蔦子はキラキラとした笑顔で写真を撮っているだけ。


「(だよね・・・・)」


 期待した自分が馬鹿だった・・・。


 が、祐巳の予想していなかった人物から助けが入った。

 その人物とは、祐巳と蔦子をここまで案内してくれた志摩子だった。


「ですが、祐巳さんは祥子さまに御用事があっていらしたみたいですけれど」

「あら、そうなの?」

「い、一応」


 祐巳は蓉子に見られ、蔦子へと目を向けた。

 蔦子はニヤリと笑い、どこからか一枚の写真を取り出し、それをテーブルに乗せる。


「あら・・・」


 蓉子から写真がまわされていく。

 それが祥子の所まできたところで、祥子は小さく首をかしげた。


「どこで会ったかしら?」

「(ぃよしっ!)」


 テーブルの下で小さくガッツポーズ。

 やはり先ほどの発言は、ただのはったりの模様。


 だが、祥子はそれを好機ととったのか、一気に余裕の表情を見せた。


「ご覧のとおり、祐巳と私は強い絆で結ばれているのですわ」

「(ええぇ!?)」


 ばっと祥子を見てしまう祐巳。

 だが、相変わらず祥子は清々しい顔。


「そのようね。けど、ならあなたはなぜ祐巳さんにロザリオを渡していないのかしら?」


 蓉子の視線が祐巳の襟元へと向けられ、つられるように他の者たちの視線も集まった。



「・・・ご要望でしたら、今ここでロザリオを伝授しましょうか?」

「あら、それは良い催しね」

「楽しそうじゃない」


 祥子が微笑めば、江利子と聖が楽しそうに祐巳と祥子を見た。


「え、ちょっ・・・」


 さすがにそれには意見を言おうとした祐巳だったが、それよりも早く。


「けれど、勘違いしてはだめよ?祥子」


 蓉子によって言葉をさえぎられた。


「何がでしょうか?お姉さま」

「妹(プティ・スール)が出来たからといって、シンデレラをやらなくても良い、なんてことにはならないということよ」

「っそんなの、話が違いますわ!!」

「あら、私は妹(プティ・スール)がいない者に発言権がない、と言っただけであって、妹(プティ・スール)がいれば降板させてあげる、なんて、一言も言っていないわ」

「っ!」


 ぎらっと蓉子を睨む祥子。

 蓉子は先ほどの祥子のように、涼しい顔をしている。


 しかし、祐巳と蔦子、志摩子は何がなんだかわからず、キョロキョロと祥子と蓉子の顔を見渡している。


「っ失礼します!!」


 祥子はカバンをつかむと、荒々しくドアへと歩き出した。

 そんな祥子に、蓉子の余裕な声がかけられた。


「出て行くのは勝手だけれど、ひとつ確認させて。祐巳さんは、祥子の何?」

「え?」

「今でもあなたは、祐巳さんを妹(プティ・スール)と思っているのかしら?」


 利用するためだけの姉妹(スール)なのか。

 そう問いかけているのだろう。


 それに返ってきたのは。


「もちろん、祐巳は私の妹(プティ・スール)ですわ。お姉さま、私を侮辱なさいますの?それではまるで、私が祐巳を利用するためだけに妹(プティ・スール)にしようとしたみたいではありませんか」

「(みたいじゃなくて、聞いた限りそうにしか見えなかったんだけど・・・。っていうか、わたし一度も姉妹(スール)になること了承していないんだけど・・・)」

「結構。ここで祐巳さんを捨てるようなら、わたしもあなたと姉妹(スール)の縁を切らなければいけないところだったわ」

「・・・・・・あの、すいません」


 さすがに、と祐巳がおそるおそる手を上げた。

 だって、なぜか了承をしていないのに、すでに祐巳は祥子の妹(プティ・スール)のように思われているから。


「おや、どうしたのかな?」

「いえ、なんだかわたし、祥子さまの妹(プティ・スール)になることを受け入れたような感じで話が進んでるので・・・」


 聖に祐巳がそう答えると、全員が驚いたように顔を見合わせた。


「祐巳さん、あなた祥子が好きよね?」


 江利子に問われ、祐巳は困ったように首を傾けた。


「いえ、あの、普通、好きとか嫌いとか、話したこともないのに、そういう感情はちょっと・・・・」

「え?けど、祐巳さん祥子のファンだよね?」

「え?いえ」


 すっぱりと聖に否定してみせた祐巳に、微妙な沈黙がおりた。

 全員が、ポカンとした顔で祐巳を見ていた。

 全員、祐巳の行動を見て祐巳が祥子のファンだと思っていたのだろう。

 一人、蔦子だけは知っていたように苦笑している。


「それに、祥子さまがわたしを利用している、とおっしゃっていましたけど、そんなに皆さんも変わらないのではないでしょうか?」

「え?」


 蓉子たち三薔薇を見れば、他の傍観していた令や由乃たちも顔を見合わせた。


「だって皆さん、特に蓉子さまや江利子さま、聖さまは、わたしと祥子さまの間に絆なんてないってこと、気づいていましたよね?」

「(出ちゃった、祐巳さんの時折見せる鋭い指摘)」


 蔦子は、仲が良いから知っているのだ。

 それは、桂も同じ。


「それなのに、あなた方は遊ぶように祥子さまの逃げ道をふさいでいた」


 じっと、蓉子、江利子、聖を見る祐巳の視線。

 その視線は、16歳の子供がするようなものではなかった。

 その視線を受けていない祥子以外が、息を呑む。


 蔦子はさりげなく、写真を撮り満足そうに口端をあげた。


「(やったゲット!今の祐巳さんの写真、ほとんどないから貴重だわ〜v)」

「そして、わたしに対しても、新しいおもちゃを見るような目で見ていましたね」

「いい加減になさい!」


 そんな祐巳の言葉を切ったのは、ドアのところに立っていた祥子だった。

 祥子はずんずんと近づいてくると、険しい目を祐巳へと向けた。


「それ以上、お姉さま方を侮辱するのは許さなくってよ!」

「侮辱、侮辱ですか・・・」


 祐巳がふっと息を吐いた。

 それから、困ったような顔へと変えて祥子を見上げた。


「わたしはあなたに利用され、望んでもいないのに姉妹(スール)にさせられそうになったんですよ?それなのに、ひとつの文句も許されないのでしょうか?」

「わ、私は、あなたを利用しようだなんてっ」

「あなたは、覚えてらっしゃいませんよね?今朝のことなんて」

「そ、そんなことは・・・っ」


 困ったような顔で言うべきことではないが、それがさらに祥子たちには重く感じた。


 祐巳はそっとため息をこぼし、カバンを持つと祥子の横を通り過ぎてドアを開ける。


「わたしは先ほど、あなたに対する感情を表せないと言いましたが、撤回します」


 顔だけを祥子、そして他の者たちを見渡す。


「わたしは、あなたが大嫌いです」


 そして、さらに続けた。


「いえ、山百合会の方々が、嫌いです。特に、三薔薇様が」


 祐巳はそう言い残し、出て行ってしまった。

 重い沈黙。


 それを破ったのは、蔦子だった。


「はぁ・・・」


 軽いため息。

 けれどそれは大きく響き、全員がビクッと肩を震わせた。

 それは、由乃や令、志摩子も同じ。


「私は、今まで一般生徒として山百合会の皆さんを尊敬していました。・・・・人の本質を見抜けなかった私も悪いとは思いますが」


 全員が蔦子を見ていた。


「山百合会の方にこんなことを言うのは失礼かもしれませんが、私も今回のことで、あなた方を嫌いになりました。それでは」


 すっきりとした笑顔で言い切り、蔦子も祐巳を追って部屋を出て行ってしまう。


 残ったのは、暗い顔をした祥子たち。


 



















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