【暗闇から】




























「あ、あの、祐巳さん。その子の様子、変じゃない?」


 由乃が肩に留まっている白烏を見て声をかけた。


 白烏は羽毛を大きく膨らませ、一回りほど大きくなっていた。


「感じ取っているだけだから」

「白烏ちゃんも、霊がわかるの?」

「うん。白烏は特別な鳥だから」


 首を傾げる志摩子に、ゆるく微笑み返す祐巳。


 それをみて由乃はムッとしたように眉を寄せた。

 自分には無表情だったのに、志摩子には微笑んで返すから。


 小笠原家の豪邸に着いた祐巳たち。


「カァー!カァー!」


 白烏は激しく鳴き、羽毛も先ほどよりも膨れていた。

 その鳴き声に蓉子たちは耳をふさぐが、祐巳は気にした様子もなく無言でメガネを外す。


 祐巳はそんな白烏の羽毛から一枚の羽を抜いた。


「祐巳さん?」


 令の言葉に答えず、祐巳はその羽を指ではね、スカートをめくり太ももに備え付けておいたナイフを取り出して、門に突き刺した。


「「「「「「っ!?」」」」」」


 石造りのはずのそこに、深く刺さるなんの変哲もないナイフ。

 そのナイフと壁の間には、白烏の羽が。


「行きましょう」


 気がつけば白烏も鳴きやみ、けれど視線は建物の一角を見つめている。


 さっさと歩き出した祐巳に遅れぬようにと、志摩子たちも慌てて追う。


「今の、何したの?」

「浄化しました」

「浄化?」

「この家の中にいる大きな霊に引かれて浮遊霊などが集まって来ていたので、それらを浄化したんです」


 聖と蓉子の問いに答え、玄関で清子と挨拶を交わし、祐巳たちは案内されて部屋へと向かった。


「「「っ!?」」」


 昨日来なかった令、由乃、志摩子の三人が部屋の状態を見て息を飲み、志摩子と由乃が祐巳に両側から抱きついた。


「昨日よりも、酷くなってますね」

「ええ。昨晩の夜中に、また・・・・」


 ソファやベッドどころではなく、壁や天井さえも斬られた跡がある。


「ですが、ナイフなんて・・・」

「鏡じゃない?」


 思案顔の蓉子に対して、江利子が天井を見ながら呟いた。

 全員がそれにつられるように天井を見れば、掌サイズの鏡の破片が刺さっている。


「・・・・・・・・・」


 眠っている祥子へと目を向ければ、両手には包帯が。


「祥子・・・・」


 令が泣きそうな声を漏らし、俯いた。


「志摩子さん、それと三つ編みの人」

「あ、ごめんなさいっ」


 志摩子は素直に離れたが、由乃はしぶしぶ。

 名前を呼んでもらえなかったから。

 自己紹介などしていないから当然なのだが、なんとなく由乃は癪だった。


 祐巳が蓉子たちの前に出て、メガネを襟に引っ掛けるようにぶら下げる。


「皆さん、中に入るか外に出るかしてください」


 祐巳の言葉に顔を見合わせ、おずおずと全員が中に入ってドアを閉めた。


 途端、眠っていた祥子が体を起こした。


【出て行け!!】


 祥子から出たような声ではなかった。

 低く、這うような声。


 びりびりと部屋に響いた声に、祐巳以外が体を大きく震わせる。


【この体は俺のものだ!!誰にもわたさねぇ!!】

「ふざけたことをおっしゃらないでいただきたい」


 圧迫されるような空気が、部屋中に充満し、蓉子たちは崩れ落ちそうになる体を耐える。

 それも、


「クァッ!!」


 白烏の出した大きな鳴き声に、瞬時に消えた。

 ホッと息を吐く蓉子たち。


【お前・・・・っ!!】

「白烏、手助けをお願いしますね」

「クア!」


 祥子らしい人物の言葉を無視して祐巳は白烏に頼み、さらに一歩前に出た。

 それに答えるように鳴き、白烏は祐巳の肩から離れる。


 蓉子たちは、固唾を呑んで見つめた。













 暗い。

 くらい。

 クライ。


 何も見えない中で。

 自分が立っているのか寝ているのかさえも、わからない。

 ただそこに漂っているような。


 それが、変わったのはいつだったかも、それさえもわからない。

 それでも、自分が崩れていくような、無くなってしまうような。


 漠然としたものを感じた。


 それに、恐怖はなくて。

 何も感じない。



 急に、周りの景色が変わった。

 闇だったそこに、一筋の光が。


『目を覚ましなさい』


 耳、というよりも、脳に響くようなその声。

 お姉さまの凛とした声とはまた違った、今まで掛けられたことのないほどに優しい声。

 心が温かくなるような。

 染み渡るような。

 優しくて、包まれるような、そんな声。


『皆さんが待っています。だから、目を覚ましなさい』


 お姉さまの顔が浮かんだ。


 意思などなかった私の心に、初めて戻らなくては、という思いが浮かんだ。

 ここがどこだかなんて、まったくわからないけれど。


「どうやって帰ればいいの?教えて」

『光に手を伸ばしなさい。そこからは、私が』


 言われるまま、手を伸ばした。

 変だなんて、思いはしなかった。


 光に手を伸ばすと、その光が私を包んだ。

 柔らかな布に包まれているような。

 お母様のお腹の中にいるような。

 護られているような、そんな気がした。







 久しぶりに感じる、目を開くというような動作。

 映ったのは、見慣れない少女の顔。

 なぜか、その子の肩には白い美しい鳥が。


「目を覚ましたようですね」

「あなたは・・・・」


 体を起こそうとするけれど、彼女にやんわりと肩を抑えられ、またベッドに戻されてしまう。


「今はまだ体が万全ではないので、寝ていなさい」


 自分よりも年下のはずの彼女に命令をされたというのに、不思議なほど不快に感じず、むしろその言葉に安心して体の力を抜いた。

 改めて彼女を見て、彼女がリリアンの制服を着ていることに気づく。


「あなた、リリアンの子なの?」

「はい。リリアン女学園の1年生です。それより、皆さんが待っています。お会いになりますか?」

「お姉さま・・・」

「他にもいらっしゃいますよ。どうなさいますか?」

「呼んでくださる?」

「はい」


 少女は静かに立ち上がると、足音も立てずにドアを開けた。

 開かれたドアには、お母様やお姉さま、白薔薇さま、黄薔薇さま、令たちもいた。


「祥子!!」

「祥子さん!!」


 お姉さまとお母様が駆け寄ってきて、私を抱きしめてくださった。

 今まで一緒にいて、初めて見る涙。

 強く抱きしめられて、私には何がなんだかわからなかったけれど、とても心配させてしまったことだけはわかった。

 だから、私もお2人を抱きしめ返す。


「お母様、お姉さま、すみません・・・・」

「祥子さんっ」

「良いのよ。良いの、祥子が無事なら、何でも良いの・・・っ」

「もうあんな祥子はごめんだわ。ねえ、聖」

「同感。面白いものとかの部類じゃないよ、あれは」


 ため息をつく黄薔薇さまと白薔薇さまはそう言うけれど、その表情には酷く安堵した笑みが浮かんでいた。

 それはお2人だけではなくて、令や由乃ちゃん、志摩子も同じだった。


「けど、祐巳さんが祥子を抱き上げたときは、驚いたよ」


 令が苦笑するように後ろにいたあの子を振り返った。

 あの子は無表情のまま、令をちらりと見る。


「それくらいの力はありますから」

「見た目とは全然違うよね〜」

「それくらいって、ずいぶん余裕そうだったわよ?」


 白薔薇さまと黄薔薇さまの言葉には返答せず、私へと近づいてきて、何かを差し出した。


「これを常に持っていなさい」

「これは?」


 掌におさまるくらいの小さな巾着。


「簡易結界です。それを持っていれば、よほどの霊ではないかぎりとり憑かれることはないでしょう」

「私は霊に・・・?」

「はい。帰り道にでも拾ったのでしょう」


 その言い方はまるで、犬猫を拾ったような軽いもの。

 それは彼女が霊をそんなように捉えているからなのか、それとも軽く言ってしまえるほどに彼女にとって拾うということが日常的だったのか。

 わからないけれど、なんとなく後者のように感じた。


「霊は心の隙間に入り込みます。心を豊かになさい。そうすれば、彼らはあなたに憑きはしない」

「あ、あの、祐巳さん。祥子は上級生だから、命令は・・・・」

「私は彼女の下級生として声をかけているわけではありません。除霊師として、言っているのです」


 令にそれだけ返すと、彼女は襟に掛けていたメガネを掛け、すたすたと歩き出してしまった。


「あ!待って!」


 振り返った彼女に体を起こし、頭を下げた。


「ありがとう」

「いえ」


 無感情な声で返ってきた声。

 短く返答し、開いたドアから出て行ってしまう彼女。


「待って!祐巳さん!私もご一緒するわ!」


 それを志摩子が慌てたように追って、同じように去っていった。


 落ちた沈黙。


「あの、お姉さま。彼女は?」

「福沢祐巳さん。志摩子のお友達なのよ」

「知らない?登下校、いつも肩に白い鳥を乗せている少女の噂」

「そういえば、そのような話を聞いたことがあるような・・・・」


 黄薔薇さまの言葉に、私はクラスメイトたちの話を思い出した。


「福沢祐巳・・・・」

「気になる?」

「え?」


 顔を上げると、優しいお顔をしたお姉さまが。


「彼女のことよ」

「・・・・はい。ですが、まだ」

「わかっているわ。妹(プティ・スール)とか、そういうのは抜きにしてまず彼女を知っていけばいいわ」

「はい・・・・」


 私はお姉さまに微笑み返し、頷いた。


 今日初めて会ったのに、一緒にいたいと思うような人は初めてで。

 お姉さまでさえも、私は時間を要したというのに。


 不思議な子。

 そんな子を知るには、やはり共にいることよね。

 できれば、薔薇の館に来てくれないかしら?

 誘ったら、来てくれるかしら?

 それとも、少し強引な方法をとろうかしら?


 明日からのことを考えると、なぜか胸が弾む。

 普遍のない窮屈な日常が、楽しく思えてくるわ。

 あの子が言った心を豊かに、とはこのことを言うのかしら。


 素直に楽しいと、思えるような、そんな日だった。


 けれど数時間後、見せてもらった自室のあまりの現状に、私は頭が真っ白になることを知らない。























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