【籠の中】
「っハッ!!??」
ハッとして辺りを見渡せば、いつもの暗い空間があるだけ。
それに、酷く安堵する。
首筋を伝う汗を拭って、部屋を出た。
部屋を出る前に見た時計は、夜中の3時を過ぎたくらい。
いつも、この時間に起きてしまう。
今日は、寝られるだろうか。
いや、きっと無理。
いつも、寝られないから。
汗で濡れたパジャマを脱いで、シャワーを浴びる。
嫌な汗が取れていくのは気持ちが良い。
けれど、目を閉じるだけで夢に見た光景が私を攻め立てる。
「祐巳ちゃん・・・・」
「・・・・・・ごめんね、起こしちゃって」
「良いのよ。それより、大丈夫?」
「大丈夫。大丈夫だから・・・・」
言い慣れたその言葉を、自分の体を抱き締めながら言った。
お母さんはそれを知っているから、立ち去ろうとはしない。
そしてそれは、祐麒もお父さんも同じ。
こうして脱衣場まで入ってくることはないけど、お風呂場の外にいるのが気配でわかる。
「・・・ごめんなさい、祐巳ちゃんっ。私が、バレエなんて習わせたからっ」
「お母さん・・・・」
お母さんは、いつも私に懺悔する。
いつも、いつも。
わたしはそれを聞くたび、泣きそうになる。
お母さんを悲しませてしまうことに。
お父さんを辛くさせてしまうことに。
祐麒を苦しませていることに。
私はシャワーを止めて、浴室を出た。
そこにいたお母さんは、泣きながらバスタオルで、出てきた私を包むように抱き締めてくれた。
「ごめんね・・・っ。忘れられなくて、ごめんなさい・・・っ」
「祐巳ちゃんっ」
罪悪感が、わたしの心を巣食う。
あれは、中学の頃だった。
6歳で始めたバレエは、意外にもわたしに合っていたようで、ぐんぐん上達して、気がつけば9歳になる前には舞台に出られるまでになっていた。
嬉しかったし、楽しかった。
お母さんに褒められて、近所の人達にも褒められて。
だから、もっと頑張った。
遊びにも行かず、ずっと練習をしていた。
マスコミからも、バレエ界の天才児、なんて言われていた。
将来の夢は、ニューヨークとかの舞台に立ってみたいと思っていた。
そうすれば、お母さんたちも喜んでくれる。
そう思ったから。
子供なんて単純だ。
家族に褒められれば、もう一度褒められたくて、頑張ろうと思える。
素敵だったわ、と言われると、次はもっと良い舞台を見せられるように頑張ろう、そう思える。
学校での友達よりも、一緒に頑張れるバレエの仲間といるほうが楽しかった。
けど、14歳になった頃だった。
一番仲の良いお友達、ケイちゃんのお母さんに、楽屋で、みんなの見ている前で両足の太ももを刺された。
ケイちゃんも、見ている前で。
入院した病院で、お母さんが教えてくれた。
その人は、わたしが居なければケイちゃんが主役になれるから、わたしを殺そうとしたらしい。
ショックだった。
わたしが前へ出ることで、苦しむ人が居ると言う事実に。
泣きながら謝るお母さんと、泣き叫び、謝るケイちゃん。
わたしは2人を前に、申し訳なくて申し訳なくて。
だって、わたしが頑張ったりしなければ、前へ出ようとしなければ、こうなることはなかったんだから。
わたしはみんなに、謝ることしか出来なかった。
それによって、みんなはもっと泣いてしまったけれど。
その時の傷によって、わたしはバレエを諦めざるをえなかった。
リハビリをして、なんとか歩くことも、走ることも平気になったけど、もう滑らかな動きは出来ないし爪先で立つことも5分くらいしか出来なくなっていたから。
バレエをやめてリリアン女学院高等部に編入した今も、傷は消えることはない。
けど、その方が良い。
唯一の特技を失くしたのは悲しいけれど、それ以上に苦しむ人が居る。
そっちのほうが辛い。
だからわたしは、あのこと以来前に出るようなことはしなくなった。
学問も、運動も、みんなと同じ平均値を維持している。
前に出ることはなく。
普通に。
平凡に。
日常を、送ることにした。
けど、あの時のことを夢に見ない日はなかった。
2年たっても、夢によって鮮明に思い出せる。
そして、お母さんたちも、ずっと傷つき続けている。
わたしは、どうやって、あの日のことを克服して、みんなを笑顔にすることができるんだろう・・・・。
「ごきげんよう、祐巳さん」
「ごきげんよう、桂さん。どうしたの?なんだか楽しそう?」
「わかる?」
高校にあがって幾日かたった頃、親友のケイちゃんが笑顔で教室に入ってきた。
橋本桂、っていう名前なんだけど、ケイちゃんとわたしは呼んでいる。
なんと、ケイちゃんは、もとからリリアンだったらしい。
そういえば、そんな名前の学校に通っている、と聞いたことがあった気がする。
初めて教室で顔を見合わせたときは、当時みたいに号泣されて謝られたっけ。
みんなが見ている前で。
わたしは別に恨んだりなんてしていないから、ちょっと恥ずかしかった。
でも、今はあの時よりも、もっと仲良くなれた気がする。
「ふふ〜ん、じ・つ・は・ね」
ケイちゃんは満面の笑みで、襟から何かを取り出した。
「あ、ロザリオ」
それは、わたしがケイちゃんから耳にタコができるくらい教えてもらった、姉妹(スール)を繋ぐロザリオだった。
「そう、お姉さまが出来ました!」
ばばん!なんて効果音が聞こえてきそうなほどに、ケイちゃんはロザリオをわたしに見せてきた。
う〜ん、水戸黄門みたい。
平伏した方が良いのかな?
なんて冗談はさておき、ケイちゃんはかなり嬉しそう。
「良かったね」
「うん!」
「桂さん、もうお姉さまが出来たの!?」
「どんな方!?」
急にどどどっとケイちゃんの周りに集まってきたクラスメイト達。
わたしと違って幼稚舎からの彼女達にとって、本当に”お姉さま”というのは憧れの存在なのだろう。
ケイちゃんが気迫のこもった顔で説明してくれたわけが、なんとなくわかった気がした。
「お姉さま、か・・・・」
なんだか、自分とは程遠い存在だな、と思うし、多分わたしは姉(グラン・スール)というものを作らないだろう。
だって、その人と姉妹(スール)になりたい人がいたとしたら、わたしはその人を奪うことになってしまう。
見たこともない誰かを、きっと悲しませ、苦しませるだろう。
見たこともない人を気遣うなんて、偽善者だと言われるかもしれない。
それでも、もしその人が思いつめて、ケイちゃんのお母さんのような行動にでたとしたら・・・・。
そう、思ってしまった時点で、わたしはそこから先には進まない。
怖くて、進めない。
まだ、わたしに対して行なうのは、嫌だし、怖いけど、そんなもの我慢できる。
けど、それがケイちゃんや他の人に向けられてしまったら?
わたしのせいで、わたしの大切な誰かが傷つくなんて、我慢できない。
それは、自分が傷つけられるよりも、恐怖だ。
だからわたしは、ひっそりと生きることにしたのだ。
”普通”という、籠の中で。
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