【変わらない思い】
「おねえちゃん・・・!」
目の前の人に抱きついた。
その人は、いつも一緒に遊んでくれた人。
私よりも少しだけ身長の高い彼女はあの日、この地から離れると言い出した。
どこにも行ってほしくなくて、
これからもずっと一緒にいてほしくて。
強く強く、抱きついた。
「いや!どこにも行かないで!」
「・・・ごめんね?」
今なら、わかる。
私たちでどうにかできる問題じゃないことくらい。
小さな子供である私たちが拒否したとしても、それが通ることはない、と。
私よりも頭の良い彼女は、気づいていたはず。
だから、私を同じくらい強く抱きしめてくれたのよね?
それでも、当時の私は、わからず泣いていた。
彼女に、裏切られたと思ってしまった。
私が誰よりも仲良しな、その人は。
次の日、よくいく公園から姿を消し。
私はその日を境に、大好きな人を大嫌いになった。
小さい頃の夢を見た。
躾に厳しい父親と祖父から逃げたくて。
みんなと同じように、遊んでいたいと思っていた幼い頃。
公園でであった、1人の女の子。
私よりも少しばかり高かった身長から、勝手に私が年上だと思い、おねえちゃん、と呼んでいた。
おねえちゃん。
遊びたくても相手がおらず、みんなが遊ぶさまを見つめていた私に声をかけてくれた女の子。
いつも何か本を読んでいて、どちらかといえば物静か。
それでも、私の傍にいてくれて、私が話しかければちゃんと返してくれる。
砂場で遊びたいと言えば、わざわざ付き合ってくれて。
私が笑うと、とても綺麗な微笑を返してくれて。
その笑顔が、私はとても好きだった。
それなのに、その人は引っ越してしまい、私の傍からいなくなった。
報告を受けた次の日、私の隣から消えた。
あっさりとした、別れ。
今ならわかるの。
だって、私たちにはどうすることも出来ないことだかもの。
けれど、当時の私は大好きだったその人に裏切られたような気がした。
置いていかれてしまったような気がした。
だから、私はいまだに、彼女が嫌い。
あんな夢を見たせいで、幾分気分が悪い。
苛々としながら席に座ろうとして、ふと窓の外へと目を向けた。
「っ!?」
息を呑んだ。
忘れもしない。
変わらない。
けれど、歳を経た美しさもある。
”おねえちゃん”が、校舎に吸い込まれていった。
その後のことを、あまり覚えていない。
ただずっと、”おねえちゃん”のことを考えていて。
見に行きたい。
――― 大嫌いなのに。
会いたい。
――― 私を残して行ってしまったのに。
声を聞きたい。
――― またね、とは言ってくれなかったのに。
頭を撫でてもらいたい。
――― 憎くさえ、思っているのに。
笑いかけてもらいたい。
――― 静かな、綺麗な笑みが好きだった。
嫌い、大嫌い。
そのはずなのに、結局”おねえちゃん”のことを求めている自分に、自嘲してしまう。
放課後。
蓉子たちは、いつもよりも静かで、どこか思いつめたような祥子に顔を見合わせた。
「祥子、どうかしたの?」
「体調でも悪い?」
蓉子と令の問いかけに祥子はハッとし、それから微笑みながら首を横にふる。
けれど、その笑みに覇気はなく。
「祥子、悩みがあるなら言ってちょうだい。それとも、私では力不足かしら?」
「いえ、そのようなことは・・・」
「なら、教えてちょうだい」
ゆっくりと、優しく微笑みながら蓉子は祥子の長い髪を撫でた。
祥子はそれを拒絶することなんてするはずもなく、ただ決意したように息を吐き出す。
「お姉さま」
「なぁに?」
「お姉さまの学年に、編入生はいらっしゃいませんでしたか?」
意外な内容。
それに、蓉子たち3年生組みは顔を見合わせた。
もちろん、令と由乃もだ。
「いいえ。そういった話は聞いていないわ」
「ええ、私も知らないわね」
「わたしも」
蓉子、江利子、聖からの否定。
それに驚いたのは祥子で、目を見張っている。
「どういうこと・・・?」
「それはこちらが聞きたいんだけど?」
ポツリとした呟き。
江利子は頬杖をつきながら祥子に返し。
そんな祥子に、由乃がおずおずといったように手をあげた。
「あの、祥子さま」
「なにかしら」
「編入生でしたら、1年桃組に今日編入したという噂を聞きましたけど」
「1年桃組っ?」
1年生?
先ほど以上に目を見開いた祥子。
だが、同時にそういうことか、と納得した。
当時、自分よりも身長が高かったために、年上だと思っていた。
実際のことを確認はしていなかった。
身長が高かっただけで、自分よりも年下である可能性はある。
「むしろ、そちらの方が可能性は高そうね・・・」
自分の学年に編入したという話しは聞いていないし、3学年も違う。
ならば、残った1学年の編入生だろう。
事実、1学年には編入生が来たようだし。
このとき祥子は、元々”おねえちゃん”がリリアンの生徒である、という可能性は考慮していない。
「祥子?その編入生が、どうかしたの?」
「もしかして、何かされたのかしら?」
心配そうな蓉子と、興味津々な江利子。
祥子は江利子に、にこりと微笑みかけた。
「そうですわね。黄薔薇さまのおっしゃることが正解ですわ」
「え?」
まさか自分の言ったことが正解だとは、江利子自身も思っていなかったのだろう。
驚いたように目を軽く見張り。
それ以上に、どこか嬉しそうな祥子に驚いた。
数日後の朝。
低血圧の祥子はいつものように、半分意識を飛ばしながら校舎へと続く道を歩いていた。
それでもちゃんと向けられた挨拶に返すのだからさすがだ。
まだ覚醒しきれていない脳のまま、祥子は遠い位置にいるマリア様を認識。
その時、マリア様にお祈りをしている1人の少女を目に留め。
脳が、一瞬で覚醒した。
「あ・・・」
おねえちゃん。
無意識に、口はそれを紡いでいた。
まるでそれに反応したかのように、少女が手を崩し。
ゆっくりと。
まるで、スローモーションのように顔をあげたように、祥子は感じた。
祥子は、気がつけば、駆け出していた。
慎みとか。
淑女としてとか。
小笠原家としてとか。
紅薔薇のつぼみだとか。
嫌いだとか。
会いたくないとか。
そんなこと、頭にはなく。
周りで驚いたように急に走り出した祥子を見ている生徒たちにも、意識は向けられず。
だが、相手の少女は驚いた様子もなく。
まるで、当たり前のことのように。
泣きだしそうな顔で走りよってくる祥子を、柔らかな無表情で見つめた。
それは、祥子にとって、かつて見慣れていた笑みとも呼べない笑み。
飛びつくように抱きついてきた祥子の身体。
それを、少しだけよろめきつつも、抱きとめた少女。
「おねえちゃん・・・!」
「久しぶり、祥子」
あの頃、自分よりも大きかった身体は。
今はすっぽり、自分の腕の中に納まってしまうくらい小さく。
祥子は、その華奢な身体をさらにギュッと抱きしめた。
「会わない間に、身長抜かされちゃったね」
どれくらいしただろうか。
少女がポツリと呟き。
祥子はハッとして、少女を離した。
「祥子?」
祥子だからこそわかる、不思議そうな顔。
他のものから見れば、ただの無表情にしか見えないだろうが。
祥子はそんな少女から顔をそらす。
「わ、私は、怒っていますのよっ?」
自身、今さらという思いがあるので、どもってしまう。
「それに、何故戻ってこられるのなら、戻ってこられると教えてくださらなかったのですかっ?」
「ごめんね、祥子。過度に期待を持たせるのは、あなたを必要以上に悲しませると思ったの」
「その場かぎりの言葉だったとしても、おっしゃっていただきたかったですわ・・・っ」
「ごめんね」
伸びた手は。
自分よりも高い頭を、そっと撫で。
少女の行為に、祥子は思わず顔を綻ばせてしまう。
久しぶりの行為が嬉しくて。
久しぶりに感じる、大好きな手が嬉しくて。
「おねえちゃん・・・」
「それ、止めた方が良いんじゃない?祥子の方が年上でしょう?」
「・・・そうですが、小さい頃の癖はなかなか直りそうもありません」
「せめて、敬語は止めよう?前は、敬語じゃなかったんだし」
ゆるりと微笑むその少女。
歳を経てこその美しさがあり。
けれど、祥子の知る少女らしい部分も残した。
見慣れない。
見慣れた笑み。
「ええ」
頬を赤くしながらも、祥子は微笑み返した。
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