「祥子さん、お客様が来てらっしゃるから、客間に行きましょう」
「・・・はい、お母様」
来年小等部に上がる、という年。
幼稚舎から帰ってきたら、お母様にそう言われて客間へと向かった。
本当は嫌だったけれど、それを拒否してもお母様を困らせるだけで、最終的に行かなくてはならない。
ならば、素直に行った方が良い。
客間で、めったに家にいることのないお父様や祖父とお話をしていたのは、お父様よりも少し若いくらいの男性だった。
その人の隣、私と同じ歳か、一つ下くらいの女の子が座っていた。
「おお、祥子か。こっちに来なさい」
「はい」
お父様の傍によると、にっこり笑った男性と、無表情にこちらを見る女の子。
「娘さんですか?」
「はい、祥子といいます。祥子、こちらの方に自己紹介を」
「小笠原祥子と申します」
頭を90度に下げると、頭に手を乗せられた。
驚いて顔をあげると、その方は相変わらずにっこりと微笑んでいる。
「祥子ちゃん、この子は祐巳といって、僕の娘だよ」
「福沢祐巳です」
すっと、軽く頭を下げた彼女の肩から滑り落ちる薄い色の髪。
それがさらりと太陽に透けて、不覚にも一瞬見惚れてしまった。
「・・・・初めまして」
「祐巳、祥子ちゃんと遊んでおいで。僕達は、話すことがあるから」
「わかりました」
「え?」
いつの間にかソファから降りた彼女は、私の手をとり歩き出していた。
もっとも、すぐにここにいても意味がないと気づき、彼女の手を振り払ったりせずに客間を出た。
「・・・・ねえ、どこに行くの?」
「外」
返ってきた短い返答。
そのとおり、彼女は家を出て庭にやってくると、歩みを止めて振り返った。
まっすぐな視線で、私を射抜く。
「なんて呼べば良い?」
唐突な質問。
それに戸惑うも、その声で名前を呼ばれたいと、変なことを思った。
「・・・・祥子。祥子と、呼んで」
「じゃあ、わたしのことは祐巳って呼んで」
「祐巳・・・」
口の中で転がす、彼女の名前。
「こっち」
再び私の手をとり、彼女は歩き出す。
なにか目的があるかのように。
来たばかりのはずなのに。
それなのに、私は何故か安心して彼女に手を引かれるまま、歩いた。
不思議な感覚。
でも、不快ではなかった。
連れてこられたのは、自分の家だというのに、今まで知らなかった場所。
とても綺麗な、木に囲まれた小さな広野。
彼女はそこで、あろうことか寝転んだ。
「祐巳!?」
「祥子もしてみたら良い。とても、気持ちがいいから」
ポンポン、と隣を叩かれ、私は少し巡査したあと腰を下ろし、恐る恐る寝転ぶ。
「わぁ・・・」
初めて見た景色だった。
遠く青い空。
緩やかに動く雲。
光りに照らされた木々。
「辛い時、悲しい時。わたしはこうやって寝転んで、いつもは見られない景色をみるの。そうしたら、胸がスッとする」
確かに、その通りだと思った。
そう思ったとき、かすかに手を握られて、反射的にその手を握り返す。
「だから、祥子にもおすそ分け」
「え?」
「祥子も、色々な悩みを抱えていそうだから」
驚いて祐巳を見たら、そこには微笑む祐巳がいて。
本当に、本当に、綺麗だった。
陳腐な言葉しか出てこないけれど、心からそう思った。
幼いその笑顔が、綺麗だと。
ずっと、無表情だったからなおさらそう思ったのかもしれない。
体を起こした祐巳は、私をそっと抱きしめてきた。
私は、いつの間にか泣いていた。
「祥子、泣かないで」
その幼い声が優しくて。
泣かないで、と言うわりに与えてくれる抱擁が優しすぎて。
祐巳の背中に腕をまわして、私はさらに泣いてしまった。
【美しいあなた】
あれから6年。
その間、祐巳にあったのは数える程度。
それも、ここ2,3年はお仕事の方が忙しいらしく、まったく会えていない。
そんな彼女が今日、久しぶりに我が家に来るのだという。
あと数日で私は中等部を卒業する。
そのお祝いとして、来てくれるらしい。
初めて会ってから今まで、一度も祐巳を想わない日などなかった。
彼女が帰ってすぐに、今度はいつ会えるのかと、そんな風に何度も思った。
会えない日は、明日会えるかもしれない、と期待をしていた。
無表情の中にかすかな柔らかさ。
私の全てを見通すかのような、澄んだ瞳。
細く、長い指。
すらっとした身体。
それらが、私の全てを絡めとる。
彼女という存在を知った、その瞬間から。
ねえ、私気づいたの。
幼すぎてわからなかった、この感情。
今は、ちゃんと理解しているわ。
これは、”恋”と言うのよ。
これは、”一目惚れ”と言うの。
迎えの車の中、窓の外を見ていたけれど、実際にそんなもの目に入ってはこなかった。
本当は、朝にそれをお母様からお聞きして、授業にも集中できなかった。
昼食の時も、食べ物が喉を通らないくらい。
ようやく家に着き、逸る気持ちを抑えて、ゆっくりと玄関をくぐる。
「お嬢様、お客様が客までお待ちです」
「祐巳ね」
「はい。それと、福沢家ご当主様も」
「わかったわ」
メイドに確認を取り、足早にならないように気をつけて、制服のまま客間へと。
ドアを開けるというその動作さえも、鬱陶しい。
早く会いたい。
早く、あの子と話しをしたい。
早く、あの子と声を交わしたい。
ドアを開けた先、いたのは最後に会ったときよりも大人になったあの子。
あの頃よりもさらに落ち着いた雰囲気。
さらに長くなった髪。
さらにさらに、綺麗になったかつての面影の残る顔立ち。
「祥子」
あの頃よりも、低くなった声。
その声で、名前を呼ばれた。
一瞬で他に何も見えなくなり、私は一直線に彼女に駆け寄り、抱きついた。
「祐巳・・・っ」
「久しぶりですね。元気でしたか?」
「祐巳は?」
「このとおり。至って健康です」
「そう。良かったわ」
身体を離すと、あの頃よりも綺麗な微笑。
それに、私は見惚れた。
――― ゴホン
咳払いにハッとして横を見ると、苦笑している小父さまが。
「邪魔をするのも気が引けるんだけど、僕も視野に入れてほしいな」
「もっ、申し訳ありませんっ!」
恥ずかしくて、慌てて祐巳から離れた。
「いや、怒ってるわけじゃないから。それでね、今日来たのは、祥子ちゃんの卒業お祝いだけじゃなくて」
「父上、まずは座ってからの方がよろしいかと」
「あ、そうだね。祥子ちゃん、座ろうか」
「はい」
あの頃のように手をひかれ、私は祐巳と隣り合ってソファに腰掛けた。
肩が触れてしまいそうな位置に、祐巳がいる。
そう自覚するだけで、心臓がドクドクとうるさい。
だって、あなたを愛しているから。
「祥子ちゃん、そんなに緊張しなくていいからね」
そんな私を、小父さまは緊張していると受け取ったようで。
それも、祐巳もそうなのか、手を握りしめてくれた。
子供の頃のように反射的に、握り返してしまう。
その手が優しくて、いつの間にか力のはいっていたそれが抜ける。
けれど、代わりとでもいうように、鼓動はさらに早くなった。
「それで、小父さま。お話とは」
「うん、実はね」
そこでいった小父さまのお話。
それは、私を驚愕させるには十分で。
そして、私を歓喜させるには十二分な内容だった。
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