【信じて、けれど・・・】



































 蓉子がこちらにきてから2週間ほどが経った。

 暇を見つけてはあの場所に連れて行ってくれるユミ。

 だが、今のところあの空間が現れたことはない。


 帰れるのだろうか。

 つのる不安。

 それでも笑顔でいられるのは、ユミたちが蓉子に優しく接してくれるからだ。


 レイたちはただ似ているだけ、と思っているが事情を知っているユミは特に気遣ってくれる。

 それが蓉子には嬉しく、不安が無駄に大きくならずに済んでいる理由である。


「ねえ、ユミ」


 仕事をしているユミに蓉子は声をかけた。

 ユミは手を止め、蓉子を見る。


「なんだ」

「聞いてもいい?」

「ああ」

「その刺青は、一体どうしたの?」

「刺青?・・・ああ、これか?」


 ユミは顔左部分に手をあてたあと、ペンを置く。


「これはな、呪いだ」

「え!?」

「正確には、呪いの後遺症だ」

「後遺症・・・」


 まさかそんな単語が出てくるとは予想しておらず、蓉子は呆然と呟いた。

 ユミは蓉子の呟きに頷いて返し、背もたれに背中を預けた。


「我が6歳の頃、ある国の王がこの国を滅ぼそうと、次期王といわれていた我に呪いをかけたのだ」

「それって、スグルさんの・・・・」

「ああ。その呪いは、突如このような模様があらわれ、顔からだんだんと体全体に広がっていき、体を模様がおおえば死ぬというものだった」

「どうやって治ったの?」


 蓉子が恐る恐る問うと、ユミは小さな笑みを浮かべて蓉子を見返す。


「母だ」

「お母様?」

「ああ。この以前我は母は病死したといったが、実際はそうではない。我の呪いを自らに移し、死んだのだ」

「・・・・・・・」

「だが、その後遺症により、この部分だけが残ってしまった」

「それって、今も呪いが?」


 蓉子が泣きそうな顔で問うと、ユミは優しい笑みへと変え、首を横にふる。


「いや、呪いはすべて母に移されている。だから、これはもはや飾りにすぎぬ」

「・・・・・・あ、あの」

「謝るなよ」


 蓉子はユミに言葉を遮られ、目を見張ってユミを見た。

 ユミは椅子から立ちあがると、蓉子の隣に座る。


「あの時言わなかったのは、お前がそういう反応をするだろうと思ってのこと。だが我は、これを母の愛の証だと認識しておる」

「・・・・・・・」

「母が、我を愛してくれていたのだと、理解することができる」

「悲しくは、ないの?呪いをかけてきた人を、憎くはないの?」

「憎んでどうなる。母は、とても慈愛ぶかき方だった。そのようなことを我がすれば、あの方は怒るだろう。愛する母を怒らせるようなことは、したくはない」


 細い金の目が、蓉子に今述べていることが真実なのだと告げていた。


 ユミが唯一相手を形容した「あの方」という言葉。

 それが、如実にあらわしていた。

 ユミにとって、母親は誰よりも尊敬し、愛し、敬う人物なのだと。


「・・・泣いた?」


 失礼だろうと感じたが、蓉子は勇気をふりしぼって聞いてみた。

 もし泣いていないのなら、自分の不安を軽減してくれるユミに恩返しができると思って。


「ああ、泣いたな」


 だが、返って来たのは素直な頷き。


「涙が枯れるかというほどに泣いた」

「そう」


 蓉子の手がそっとユミの手に重なり、ユミもその手を握り返した。


「そして、我は誓ったのだ。もう、泣かぬと。泣いて時間をつぶすよりも、少しでもみなを笑顔にできるように力をつくそう、とな」

「あなたは、強いのね・・・」

「みながおるからだ。一人ならば、こうはなれぬ」

「羨ましいわ」

「何を言っておる、お前とて強いであろう?」


 蓉子はそれに首を横にふり、否定する。


「私は、強くなんてないわ。結局、1人ではどうすることもできない」

「お前は、何を聞いておったのだ」

「え?」


 ユミを見れば、呆れたような顔をしていた。

 それにきょとん、とした顔をしてしまう蓉子。

 ユミはそれを見て、くつりと笑い、蓉子の頬をなでる。


「我は、みながいるからこうあれるのだと言うたばかりではないか」

「あ・・・」

「人一人おったからというて、何ができるものでもない。自分1人でできると思うなど、おごり高ぶっておる証拠だ。お前一人に何ができる?何もできぬのだ、ヨウ」


 撫でる優しい手。

 諭す厳しい声。


「誰かと共に行えば、難しくもなんともない。それを理解すれば、良いだけのこと」

「・・・・そうね。私はいつも、1人でどうにかしようとしていたわ。それが義務だと勘違いしていた」


 深く息を吐き、蓉子は言う。

 すっきりとした顔で。


 ユミはそんな蓉子を、優しいまなざしで見つめていた。















 










「お前がこちらに来て、もう36日だな」

「ええ。・・・・帰れるかしら?」


 夕食を食べ終えた、ユミの自室。

 蓉子とユミは、並んで窓から見える月を見上げていた。


「今ならば、帰れるかもしれぬぞ」

「え?」

「お前が、帰りたいと強く願えば」

「・・・・・そうかしら」

「ああ。向こうを見てみろ」

「?」


 ユミが指差したほうへと目を向け、目を見開く。

 そこには、穴がありそこからは蓉子の自室が見えたから。


「嘘・・・・」

「・・・・さて、ヨウコ」


 ユミが、久しぶりといえるくらい、蓉子の名を呼んだ。

 蓉子が驚いて振り返ると、綺麗な笑みを浮かべたユミが月に照らされてた。


「さようならだ」

「あ・・・・」


 微笑むユミに、そう囁くユミに、蓉子は自分が帰るということがどういうことかをようやく理解した。

 何故気づかなかったのか。

 自分がもとの世界に帰るということは、もうユミたちとは会えないということだ。


「ま、待って、まだ心の準備が!」

「そのようなことをしている間に、閉じてしまうぞ?」

「い、いや!貴女と、貴女たちと離れるなんて!!」


 ユミの服をぎゅっと握り締め、悲痛な叫び声をあげる蓉子のその手を、ユミはそっと離した。

 そして、その両手に優しい口付けを落としてくれる。


 だが、蓉子は知っている。

 トウコに教えてもらったから。

 ユミは、もう一生会えないと思ったものには、最後に両手に優しくキスをするということを。


 かつての戦のとき、死にゆく者に今までの感謝をこめてそれをし、死者を看取ったのだということを。


「嫌よ!そんなことしないで!私はまだ、貴女と離れたくないの!!貴女の傍にいたいの!!」


 心からでてきた言葉。

 それは、蓉子自身も気づかない、本心。

 今の蓉子の気持ちが、誰に向けられているのかを表した言葉。


 しかし、ユミは首を横にふる。


「お前には、お前の幸せがある」

「ユミ!」

「気づいておらぬのか?向こうの世界のことを話しているあいだ、お前は幸せそうな顔をしていたのだぞ」

「それはっ・・・、だけど!」

「お前から、それを奪うことなどできぬ。それは、ここを統治する我であろうとも、許されぬことだ」

「ユミ・・・っ」

「怖がるな。自らのおかれている状況に」


 ハッとする。

 ユミは、気づいていたのだ。

 自分の心境に。


 ユミは蓉子の手を引き、それの目の前まで連れて行った。


 蓉子の手が抵抗するように、ユミの手を強く握っている。

 跡がつきそうなほど、強く。


「ヨウコ」


 蓉子が拒否するように、顔を勢いよく横にふった。


「・・・・ヨウコ。お前と共にあれたこの期間、我は、とても楽しくあれた」

「いや!やめて!聞きたくないわ!!」


 耳を両手でふさぎ、なおも抵抗を試みる蓉子のその体を、ユミは包み込むように抱きしめた。


「なに、心配するな。必ず、また会える」


 耳元で囁かれる、心地の良い低音。

 それが紡ぐ言葉に、蓉子は縋るように祐巳を抱きしめかえした。


 絶対的なこの声が、蓉子の心に希望の火を灯させる。


「本当?本当に、また会える?」

「ああ。我が嘘を言ったことなどあったか?」


 ユミの細い腕の中で、ヨウコの首が横にふられる。

 それを感じ、ユミはそっと蓉子を離した。


「なら、我を信じろ」


 涙を流しながら、蓉子は首を縦に振った。

 ユミの言葉だけが、唯一信じられるものだというように。


「さ」


 蓉子の涙を拭い、体の向きを変え、背中を優しく押す。


「・・・・また、会えるのよね?」

「ああ、もちろんだ」


 蓉子はそれを信じ、体を震わせながらもその空間を通った。


「・・・・さらばだ、愛しき我が姫よ」


 今までそこにあった空間はない。

 当然、蓉子も。


「・・・・・くく、我はあやかしにでも騙されていたのかもしれぬな」


 蓉子がいたという形跡さえもなくなったその部屋、ユミは小さく笑う。

 そのとき、足元に転がるものに気づき、拾い上げた。

 それは、蓉子の生徒手帳。


 ユミはそれを見てヨウコにむけていたよりも柔らかな笑みを浮かべ、懐にしまった。

 大切そうに。


「一目惚れ、か」


 椅子に座り、輝く月を見上げる。


「エリコに聞かれたあかつきには、爆笑されてしまいそうだな・・・・」


 ユミは苦しそうに、小さくのどを震わせる。


 ―――くしゃり


 机に置かれた書類が、ユミの手の中で歪んだ。

























 見慣れた自分の部屋。

 時計を見れば、学校から帰ってきた時刻から1分もたっていない。


 振り返り、閉まったままのクローゼットを開けた。


「・・・・・・・・・・」


 けれど、そこにはいつものように予備の制服がしまってあるだけ。


「ユミ・・・・また、会えるのよね・・・・?」


 返ってこないとわかっていながらも、蓉子は問いかけるように呟く。


 蓉子の頬を、涙が伝った。























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