【諭し】
先生に頼まれた荷物を持ち、廊下を歩いていると。
「ごきげんよう」
後ろから声をかけられて振り向くと、江利子さまがいた。
「ごきげんよう、江利子さま」
微笑み返すと、江利子さまは荷物を半分ほど持ち、隣に並んだ。
「大丈夫ですよ、江利子さま」
「良いのよ。それに、このまま行けばあなたのクラスがわかりそうだもの」
「あら、それは残念。これを運ぶのは、数学準備室なんですよ」
そういうと、少し不機嫌そうになる江利子さま。
そのまま表情のでる江利子さまに、私は小さく笑った。
「そんなに私の名前が知りたいですか?」
「・・・いいえ」
「?」
「あなたの名前が知りたいわけじゃない。あなたという存在を形成する全てを知りたいのよ」
思わず驚いて江利子さまを見上げた。
江利子さまは、恋人時でもあまり見る機会のなかった真剣な顔で、私を見つめていた。
そして、笑う。
「ふふ、驚いてるわね。でもね、私も驚いているのよ。ここまで誰かに興味を持ったことなんてなかったのだから」
「・・・・・私の名前がわからないからですか?」
「それもあるでしょうね。けれど今は、名前以外にも色々知りたいと思っているわ」
「・・・・物好きな」
小さく笑いをもらすと、江利子さまは肩をすくめて笑う。
「物好きでもなんでもないわ。だって、あなたは私に興味を抱かせるような子なんだもの」
「それは光栄ですね」
「それが本心ならば、どんなに嬉しいかしらね」
「あら、まるで本心ではないようにおっしゃるんですね」
笑いながら江利子さまを見上げると、江利子さまは怒ったような顔を。
もちろん、それが演技の表情であることは、私にはわかっていた。
「わからないとでも思って?」
「これはこれは、失礼いたしましたわ、黄薔薇さま。まさか、黄薔薇さまがそこまで人の機微がわかると思いませんでしたの」
「・・・・・ちょっとムカつくわね、それ」
今度は、本当に不機嫌な顔。
私はそれに小さく笑う。
「すみません、嘘ですよ。それより、演技がはがれてますよ?」
「・・・・・あなたには、かなわないわね。たいがいの生徒は、ああいう顔をすれば、恐れたり謝ったりしてくるのに」
ふぅ、とため息をつく江利子さまに、私は笑みを深めた。
「まさか、それに便乗してくる子がいるとは思わなかったわ」
「リリアンには、さまざまな生徒がいますよ?私だけではないかもしれません」
「あなたくらいよ、あんなことを返してくるのは。・・・・そのせいで、さらに興味を覚えてしまったわ」
「それはそれは」
「本気ととっていないでしょう?」
またまた不機嫌そうに私を見下ろす江利子さまに、微笑み返す。
そんな私を見て、江利子さまは再びため息をついた。
「あと1年待っていれば、あなたに会えたなのにね。令を妹(プティ・スール)にしたのは失敗だったかしら?」
その言葉に、私は思わず立ち止まってしまった。
それに気づいた様子で、同じように立ち度周り私を振り返る江利子さま。
「江利子さま」
「え・・・・」
「もし、今のお言葉が本心からのものだったとしたら、私はあなたを軽蔑します」
「っ!?」
今の私は、きっと無表情。
だって、今の言葉は、冗談だとしても言って良い言葉ではないから。
令さま本人が聞いているかいないかなど関係なく、言ってはいけない言葉だから。
「・・・・ええ、そうね。冗談でも、言ってはいけない言葉だったわね」
ごめんなさい、そう謝る江利子さまに少し驚き、けれど謝る素直さをちゃんと持っている江利子さまに微笑んだ。
そう、こういうことはしっかりとしている、可愛い人だったよね。
この方は。
「令さまには、令さまの素敵なところがあります。江利子さまはそれを見て、令さまと姉妹(スール)になったのでしょう?」
「ええ。そうよ」
「それに、あなたはそう簡単に心移ろわせるような人間には見えません。もし私が2年だったとしても、あなたはきっと令さまを妹(プティ・スール)になさっていますよ」
「・・・そうね、きっと。私はどんな人と巡り合っても、結局は令を妹(プティ・スール)にすると思うわ」
笑顔で言い切った江利子さまに笑みを深め、江利子さまの隣に並ぶ。
その後は、他愛のない話しをしながら数学準備室へと向かった。
その会話を、令さまが聞いていたとは知らずに。
ポンポン、と肩を叩かれたような気がして、私は顔をあげた。
見てみると、いろいろな感情が混ざったような顔をした令さまが。
「ちょっと、良いかな?」
「かまいません」
私は微笑み、断りを入れて本を元の場所に戻すと令さまのもとに戻った。
そんな私を驚いたように視る令さまに、首をかしげる。
「何か?」
「あ、いいえ。よくわかったね、わたしがここじゃない場所で話がしたいこと」
「令さまの雰囲気が、そうおっしゃっていましたから」
「・・・・・お姉さまが興味を持つわけだね」
私はそれになんと答えていいかわからず、微笑み返すだけにとどめた。
令さまに連れられて向かったのは、ひっそりとたたずむ温室。
それにしても、私は何故令さまに呼び出されたのだろう?
祥子さまのように、蓉子さまがたが私の話しをしていてそれに興味を持ったから?
それは違うような気がした。
理由はわからないけれど。
「それにしても、お姉さまがおっしゃったとおり、凄い集中力だね」
「江利子さまがなんとおっしゃっていたのかはわかりませんが、この集中力のせいで周りが見えなくなるのは事実ですね」
そう答えると、令さまは苦笑し、それから真剣な顔をした。
ここからが本題だとわかり、私も表情を改める。
「実は、さっき廊下で聞いちゃったんだ。お姉さまと、あなたの会話」
理解した。
令さまに呼び出されたわけを。
「・・・・・そうでしたか」
「・・・・初めて会った子にこういうこと聞くのは変だと思うけど、お姉さまのあの言葉、本当だと思う?」
何を指しているのか、私は瞬時に理解した。
だから、微笑み、強く頷く。
「はい。ハッキリと、そうであると言えます」
私のように、性格が変わっていないのならば。
おこがましいと言われてしまうかもしれないけれど。
もし私がもとの”わたし”であったならば、私はどんなに逆行を繰り返しても祥子さまの妹(プティ・スール)になっていただろう。
そうならなかったのは、”わたし”が変わったからだ。
”わたし”が、あまりにも変わりすぎたからだ。
「そう、かな?心配なんだ。あの時、あなたが怒ったから、ああいう風に言ったんじゃないか、って」
「江利子さまは、他人が怒ったからとご自分の感情を変える方には見えませんが」
「それも、わかってはいるんだけど・・・・」
理性と感情は別物。
今の令さまは、まさにその状態。
「ハッキリ言います。令さまが令さまである限り、江利子さまは令さまと姉妹(スール)になります。何度でも」
私が、禁忌を犯さない限り。
何度でも、お2人は姉妹(スール)だった。
それは、揺るぎのない事実。
私は、それを知っている。
「自信を持ってください。こんな自分が、などと思っていると、令さまを妹(プティ・スール)にした江利子さまに失礼にあたりますよ?」
「・・・・・・・」
「江利子さまは、この学園にいるたくさんの生徒達から、令さまを選んだ。令さま”だけ”を選んだ。それは、誰がなんと言おうと、覆せない事実なんです」
「・・・・・そうだね。うん、お姉さまは、わたしを選んでくださったんだもんね」
覇気の戻った顔に、私は笑みを深めた。
そして、頷く。
強く。
「はい。自信を持ってください。令さまだけが、江利子さまの妹(プティ・スール)なのですから」
「・・・・ありがとう。本当に、あなたは不思議だね」
「そうですか?」
「ええ。それにしても、ごめんね。年下の子に、こんな情けないところを見せちゃって」
苦笑する。
内面部分では、私は令さまよりも長く生きているのだから。
「かまいませんよ。完璧な人間なんて、この世にはいないんです。人とは悩み、立ち止まり、そうして前に進むことができる。そういうものなのですから」
「・・・・あなた、年下、だよね?」
「見えませんか?」
苦笑を深めてしまった。
正面からそう問われたのは、本当に数え切れないほどある。
今回は初めてだけれど。
「あ、ごめんね」
「いいえ。謝る必要はありませんよ。それに、同学年の方にも、そういった言葉はよく言われますから」
あ、やっぱり、といった顔をなさる令さま。
以前の私と同じくらい、令さまも思ったことが顔に出やすい。
そんなところが可愛いのだけれど。
「あ、時間とってしまってごめんね。わたしから呼んだのに、仕事があるから先に行くね」
「ええ。ごきげんよう、令さま」
「ごきげんよう。それと、ありがとう」
私はそれに微笑み返すことで答える。
令さまも微笑み返してくださり、初めの頃とは違う、心からの笑顔を浮かべて手をふると、温室から出て行った。
残った私は、今から図書室に戻るわけにもゆかず、本当に昔、ここに初めてきたときに座った、あの場所に腰掛けた。
そこから手を伸ばし、ロサ・キネンシスの蕾に触れる。
昔、私は悲しいことがあるといつもここに来ていた。
薔薇たちが、慰めてくれるような気がして。
蕾をそっと撫で、自然と浮かぶ笑み。
「皆さんを、見守っていてね」
他の薔薇たちにも目を向けた。
「あなた達と、同じ名を背負った方々を」
撫でていた蕾に、そっとキスを落とした。
ブラウザバックでお戻りください。
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