【密かに上がる人気】

































 朝のジョギングを終えてシャワーを浴び、制服に着替える。

 初めの頃は、そんな私を訝しそうに見ていたお母さんも、今では慣れたように私がリビングに入るタイミングで料理を出してくれる。

 それに感謝して、食べ終えてすぐにリリアンへと向かう。

 それも、目標が目標なだけに、いつものこと。


 最近かお馴染みになりつつある図書委員の方と挨拶を交わして、今日読む本を探す。

 一冊の本を手にとっていつも座る席へ。


 けれど、そこには珍しく、先客がいた。

 黄薔薇さま。

 そう、江利子さまである。


 江利子さまは、相変わらずつまらなそうな顔で窓の外を見つめている。

 その姿は、別段本を読みに来たわけではないみたい。

 何をしにいらしたのだろう?


 疑問を覚えるも、私は江利子さまが座ってらっしゃる前の席に腰掛けた。

 一瞬だけ、江利子さまがこちらを見る。


「ごきげんよう」

「ごきげんよう」


 反射的になのだろうか、軽く微笑む江利子さま。

 それは、初めて蓉子さまと挨拶を交わしたときと同じ、黄薔薇さまの仮面。


 そんな江利子さまに微笑みかえし、私は本を開いた。



 それからしばらくして。

 誰かに左手をとられたように感じて、顔を上げた。

 そこには、なぜかクスクスと、楽しそうに笑う江利子さまが。


「江利子さま?」

「ふふ、まだ気づいていないのね」


 首をかしげると、左手がくいくい、と引っ張られ。


「あ」

「ふふふ。ようやく気づいた?」


 いつの間にか、私の手は江利子さまの手に握られていた。

 どこか慣れたその感触が、すぐに気づかなかった理由なのかもしれない。


 けれど、何故私は江利子さまに手を握られているのだろう?


「はい。それで、何故私は手を握られているのでしょうか?」

「だってあなた、呼びかけても気づいてくれなかったんだもの」


 それに苦笑した。

 私は、蓉子さまと同じ現象を、江利子さまともしていたらしい。


「そうだったんですか。それは申し訳ありませんでした」


 やんわりと解いて本を持ちなおすと、なぜか江利子さまは驚いたような顔をし、それから笑う。

 チャシャ猫のような、楽しい何かを見つけたときに浮かべる、江利子さま特有の笑みを。


「どうなさいました?」

「あなた、面白いわね」

「そうですか?」

「ええ、気に入ったわ。あなた、お名前は?」


 楽しそうに笑う江利子さまに、私は微笑んで口に人差し指をおしあてた。


「秘密です」

「あら、秘密なの?」

「はい。名もなき生徒、と認識しておいてください」

「ふふ。やっぱり、あなた面白いわ」


 椅子を引いて立ち上がる江利子さまに微笑みかえし、私たちは挨拶を交わす。


「それでは、ごきげんよう」

「ごきげんよう、江利子さま」


 颯爽と図書室を出て行く江利子さま。

 恋人という関係にあったからこそわかる、その背中が楽しいことを見つけて喜んでいることを。

 ああいうところが、江利子さまの可愛いところだと思う。


 笑みを深め、私は再び本へと視線を戻した。

 そんな私を蓉子さま同様にちらりと見て、さらに楽しそうな笑みを江利子さまが浮かべたことに、私は気づかなかった。




 ――― ポンポン


 肩を叩かれて顔を上げると、そこには苦笑する蓉子さまが。


「蓉子さま?」

「もうそろそろ、H・Rが始まる時間じゃない?」


 備えつけられている時計を見ると、確かにH・Rが始まる10分前。


「すみません、いつも」

「良いのよ。私も、用のついでだから」


 あの日以来、蓉子さまはこうして時間を知らせてくれる。


 本を閉じて本棚にそれを戻す。

 その間も、蓉子さまはなぜか私の隣にいる。

 今回、私はこれといって特に何もしていないから、理由がわからない。

 恋人になったときは、お姉さまの妹(プティ・スール)になってからだったし。


 やっぱり、蓉子さまが律儀で、親切な方だからかな?


「それでは、失礼します。それと、ありがとうございました」

「良いのよ。それではね、ごきげんよう」

「ごきげんよう」


 図書室から出てから私が頭を下げると、蓉子さまは微笑んで歩き出す。

 その表情が、どこか残念そうに見えたのはきっと気のせいだよね?


 とりあえず気にすることなく、私も自分のクラスへと向かう。

 道中、すれ違う同級生達と挨拶を交わしながら。



























「ごきげんよう、祐巳さん」

「ごきげんよう、志摩子さん」


 挨拶をしてくれる志摩子さんに微笑み返して、私は自らの席に座り、鞄から本を取り出した。


 図書室では本を読み、クラスでは自分で持ってきた本を読む。

 まるで、本の虫にでもなったような気分。

 そう思ってしまうほど、今の私は常に本を読んでいた。


 と、急に頭をぱこ、と叩かれ、顔を上げた。

 目の前にはいつの間に、教科書を丸めて立つ蔦子さんが。

 きっと、それで頭を叩かれたのだろう。


「蔦子さん、教科書をそんな風に丸めたりしたら駄目だよ」

「祐巳さん、言うべきことはそこじゃないでしょう」


 なぜか呆れたようにため息をつかれ、首を傾げてしまう。

 蔦子さんはそんな私にため息をつき、顎で私の後ろを示した。


「?」


 後ろを振り返ると、困ったような顔で立っているクラスメイトの弥生さんが。

 そんな彼女は、教科書とノートを持っていて、どんな用事なのかすぐにピンときた。


「ごめんなさい、弥生さん」

「ううん、良いの。祐巳さん、本を読んでるとき声かけても聞こえないって知ってるから」

「肩なり頭なり、叩いてくれても良いんだよ?」

「そんなこと祐巳さんにできるのは、わたしくらいよ」


 そう蔦子さんに言われ、私はまたしても首をかしげた。


「自分のこと、何もわかってないのね」

「どういうこと?」


 呆れたように言われても、私には何のことだか。


 すると、蔦子さんは肩をすくめると、私の額を人差し指でついてきた。

 そこに手をあてて、立っている彼女を見上げる。


「蔦子さん?」

「祐巳さんが気づいていないようだから言うけれど、祐巳さんは志摩子さんと同じくらい敬遠されているの」

「そうなの?」

「そうよ。同級生とは思えないくらいに落ち着いていて、運動もできて、勉強もできる。まさにパーフェクトじゃない」

「・・・・そうなの?」


 弥生さんに問うと、弥生さんはなぜか顔を赤くして、小さく頷いた。

 よくわからずに蔦子さんへと向き直ると、一瞬目の前が光った。


「きゃっ」

「中学の頃は、普通だったのにね」


 カメラをおろしながら呟く蔦子さんに、思わず苦笑。


 私は別に、一気に変化したわけではない。

 徐々に徐々に変化していき、300歳を過ぎて、ようやく今の自分になれただけ。

 途方もなく長い時間をかけて、今の落ち着いた性格になっている。

 当然、かつてのように怪獣、などと比喩されるような悲鳴もあげなくなっている。

 もちろん、それを蔦子さんに言えるはずもないし、信じてはくれないだろうけれど。


「それでね、弥生さんは祐巳さんに勉強を教えてほしいのよ」

「うん」

「けど、祐巳さんがなかなか気づかなかったせいで、時間はもうないわ」

「もともと、教室に入ってきたのは5分前だったしね」


 蔦子さんに答えて、弥生さんへと顔を向けた。


「だから、次の休み時間でも良い?」

「だ、大丈夫!」


 微笑みながら問うと、弥生さんは首を勢いよく縦に振って肯定してくれた。


「ありがとう」

「あのね。もとは弥生さんが祐巳さんに勉強を教えてもらおうとしてるんだから、その言葉はおかしいんじゃない?」

「けれど、弥生さんは私のために時間をずらしてくれるんだから、お礼を言うのは当然じゃない?」

「・・・・・・そんなところが、人気の秘密なのよね〜」

「なにか言った?」


 小声だったからよく聞きとれず聞き返すけれど、蔦子さんはなんでもない、と言って答えてはくれない。


「そう?それでは弥生さん、次の休み時間にね」

「う、うん。ありがとう、祐巳さん!」

「気にしないで」


 恥ずかしそうに自分の席に戻っていく彼女を疑問に感じつつ、前を向く。

 そこにすでに蔦子さんはいない。

 そんな彼女の行動には慣れているので気にせず、本を机の中に入れた。

 それと同時に入ってくる先生。


 私は号令をかけ、立ち上がった。



















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