【溺れる】

































 私はまどろみの中、窓辺に立っている彼女を見つめていた。

 満月の今日、月に明るく照らされた彼女。

 青白い光りを纏うその裸体は、なんと綺麗なのだろうと、柄にもなく思う。


「お眠りになられた方が良いですよ」


 こちらに顔を向け、微笑む彼女。

 笑顔は幼いのに、それとは違う綺麗な体。

 着やせをするのか、胸は予想以上にあり、腰は思ったよりも細い。

 シンデレラの衣装を着たとき、腰周りがきつい、というその発言がただの嘘だったのだとわかるくらい。


「ねえ、祐巳ちゃん」


 私は彼女の発言には答えず、情事後のだるさから眠ろうとする身体に抗いながら、祐巳ちゃんに声をかけた。


「何ですか?」


 微笑を湛え、窓辺から離れてゆっくりと近づいてくる。

 ベッド端に座ったその細腰に、腕をまわし。


 滑らかな素肌が私の肌に吸い付き、頬に心地良い。


「あなた、私が初めてではないでしょう」


 それは、疑問、というよりも確信。

 彼女は、こういう行為が初めてではない。


 反対に、私は彼女が初めてだった。

 初めて身体を重ねたとき、それに気づいていたのか、私に触れる祐巳ちゃんの指は優しくて。

 私が怖がらないように、怯えないように。

 ゆっくりと、未知の快感のなかに誘ってくれた。


「黙秘権を施行します」


 祐巳ちゃんは残酷なことを言いながら、それでも手は優しく、私の髪を梳く。

 私はキュッと、彼女の腰にまわした腕を強くする。


「相手は誰なの?」

「そんな無粋なこと、聞かないでください」


 髪の一房を手で玩ぶように梳いていくその行為も、どこか慣れているようで。

 静かな炎が、私の心をくすぶる。


「今わたしは、あなたとこうしているんですから」


 誤魔化されたくはないのに、腹部に寄せていた顔を離され、落ちる額への優しい口付けに、誤魔化されてしまう。

 その慣れた仕草が、わらからない相手への嫉妬心をさらに加速させる。

 それでも私は、これ以上問い詰めたら彼女が離れていってしまうような気がして、素直にその口付けを受け入れた。


 彼女が、普通の子と少し違うと気づいたのは最近。

 偶然が起こり、羽陽曲折ののちに祐巳ちゃんは祥子と姉妹(スール)になった。

 外見も内面も幼いと思っていた彼女の、時おり浮かべる笑みが。

 仕草が。

 どこか同年代である由乃ちゃんや志摩子と違うと、気がついた。


 何が違うのかは答えられなかったけれど、それを見つけるために祐巳ちゃんに興味を持ち始めて。

 そうしてわかったのは、彼女が故意に隠していた魅力。

 そして気がつけば、その魅力に囚われていた。


 黄薔薇さまである、この私が。


「寝ましょうか」


 隣に入ってきた彼女は、自分よりも大きな私の体を抱きこむ。

 私が寝やすいようにか、枕の位置を変えたり。

 掛け布団をかけなおしたり。


 そんな気遣いの裏に隠れる、手馴れた動作。

 それに気づいて、私の心はじくじくと痛む。


「おやすみなさい、江利子さま」

「・・・・ええ、おやすみ、祐巳ちゃん」


 囁かれる誘い。


 今だけ、今このときだけは、素直に誤魔化されていようと。

 どうせ彼女の過去について追求できないくせに、そんなことを思った。

































 祐巳さんの家に遊びに来て、見つけた一つの写真。

 勉強机の上、見えないように伏せられた写真たて。

 その中にいたのは、中学生くらいの祐巳さんと、綺麗なお姉さん。


 その人は祐巳さんを腕の中に抱きかかえて、頬をくっつけて。

 恥ずかしそうな嬉しそうな、満面の笑みの想い人。

 綺麗な笑顔を浮かべた、見知らぬ女性。


 見ていることができなくて、私は咄嗟に写真たてをもとに戻した。

 どうしようもない感情のまま、私はテーブルを前に座る。


 ドクドクとうるさい心臓は、治したばかりの私の胸を攻め立てる。

 誰なのかと。

 恋人なのかと。

 ドクドクドクドク。


「由乃さん、紅茶持ってきたよ。・・・由乃さん?」

「あっ、ゆ、祐巳さん。ありがとう!」


 慌てて返事をするけど、祐巳さんは訝しげにお盆をテーブルの上に置く。

 それから、何かに気づいたような顔で、私の隣。

 それだけでふくらむ、胸の鼓動。


 彼女を、好きだという証明。


「写真、見たんだ?」

「っ!!」


 口からあふれ出しそうになる悲鳴は、何とか押し込めることには成功したけど。

 指先は、震えていた。


「な・・・なんで・・・っ」

「由乃さん、泣きそうな顔してる」


 そう言って微笑むそれは、みんなの前ではしない、大人な笑み。

 私が焦がれて止まない、綺麗な笑み。

 私が囚われた、微笑。


「気にしなくて、良いのに」


 祐巳さんの口元。

 私の耳横。


 普段の強気な私はどこへやら。

 祐巳さんと2人きりだと、とたんに私は弱くなる。


 ただの、弱い女の子。

 捨てないでと、泣き出す女の子。

 私が、一番嫌いな行動をする、オンナノコ。


「わたしは、ここにいるんだから。由乃さんの、目の前に」


 優しい仕草で、カーペットの上に倒される。

 天上を背に、微笑む祐巳さんの顔が見える。


 そんな彼女の、細い背中に腕をまわしてしまう自分。

 こんなにもあなたを求めてる。

 福沢祐巳という、1人の女の子を。


「好きだよ、由乃さん」


 落ちる口付け。

 それは優しくて、慣れていて。

 泣きそうな心を、グッとこらえた。


 理由は、わからない。


「泣かないで」


 囁きは、柔らかく。

 暖かい。


 だからわたしは、彼女に囚われ続ける。







































 乱れた呼吸を落ち着けようと繰り返す、その小さな唇。

 上下する、制服に隠れた胸。

 小さな痙攣は、この子が感じてくれたことの表れ。


「大丈夫?祐巳」

「はぁ・・・・へい・・・き・・・はぁ・・・はぁ・・・です・・・」


 予想よりも細いその身体を、そっと抱き寄せる。


 本来ならば、学校ですべきではない行為。

 紅薔薇のつぼみとして。

 小笠原家の長女として。


 けれど、祐巳を愛す私は、そのどれでもない。

 ただの、小笠原祥子。


 1人の人間として、1人の人間を愛しているだけ。


 寄りかかる温かみ。

 それがとても心地よくて。

 知らず知らずのうちに、惑わされる。

 偶然という運命で知り合った、大切なこの子に。


「学校でなんて、ごめんなさいね」


 横に振られる、まだ幼い顔。


「あなたを見ていたら、我慢ができなくて」


 その顔が、快楽に染まる瞬間。

 それを、どうしても見たくなるときがある。


 授業中、校庭で授業を受けているあなたを見つけたとき。

 休み時間、あなたが何をしているのかと考えたとき。

 教室を移動している時、あなたが級友に笑いかけながら歩く姿を見かけたとき。


 一緒に思い出す、淫らな表情。


「大丈夫、ですから・・・・」


 幾分かきれた気遣い。

 それでも、浮かべる笑顔。


「ありがとう」


 背徳感。

 そんなもの、祐巳を愛すのに不必要。

 必要なのは、祐巳を想うこの心だけ。


 制服を直して。

 タイを直して。

 髪を直して。


「行きましょうか、祐巳」

「はい、お姉さま」


 そろそろ大丈夫だろうと思い、立ち上がる。

 同じようにして立ち上がるその姿は、先ほどまでの行為などなかったかのよう。

 いつもの、祐巳。


「それでは、また放課後に会いましょうね」

「はい、お姉さま」


 別れ道、頭を下げて背中を向ける潔さ。

 けれど、その背中に私と同じ思いがあることを、切に願ってしまう。


 まだ、一緒にいたいという、我侭な思いが。


 進む足。

 それは、少しだけ振り返って。


 にっこりと、笑顔。


 私もそれに微笑み返せば、祐巳はまた背中を向ける。


 何故か、その背中が遠いと、感じた。



































 畳の上。

 かすかに広がる、ツインテールのほどけた祐巳さんの髪の毛。


「志摩子さん・・・・」


 うっとりと呟くその声に、どれほど心がかき乱されるのか。

 どれほど、欲望を沸き立たせるのか。

 祐巳さんは、わかっているのだろうか。


「好きよ、祐巳さん・・・」


 想いと同時に、祐巳さんの唇を塞ぐ。

 柔らかな感触。

 続けてそこに、舌を割り込ませた。


「わた、しも・・・っ」


 友達だと思っていたのは、初めだけ。

 すぐに、愛に変わっていた。


 服を脱がせれば、恥ずかしそうにしながら脱がせやすいようにしてくれる。

 下着を外せば、そっと目をそらす。

 敏感な身体を手で撫でれば、ピクリと身体を震わせて。


 あなたの瞳が愛しい。

 あなたの声が愛しい。

 あなたの体が愛しい。

 あなたの全てが、愛しい。


 弾む息に、自然と私の息も弾んで。

 祐巳さん以外、見えなくなる。


 シスターになることを夢見た私はいない。

 ただただ、あなたに触れたいと、願う私がいるだけ。


 潤む瞳。

 掠れた声。

 はねる体。

 どれもこれもが、私を離さない。


「祐巳さん・・・・祐巳さん・・・・祐巳さん・・・・!」


 どこもかしこも、祐巳さんは甘い。

 それが私を、とらえて離さない。

 まるで、蜘蛛の巣にかかった獲物のように。

 羽をもぎ取られた蝶のように。


「し・・・ま、こ・・・・さっ・・・」


 苦しそうな甘言に混じる、私の名前。


 もっと呼んで。

 もっと紡いで。

 私の名前を。

 祐巳さん、あなたの口で。





































 じゃれるように。

 それの延長線上であるかのように。

 交わす、秘密の交わり。


 彼女しか知らない私の体は、たやすく熱を持つ。

 比べる相手などおらず、それでも私に触れるその指は優しい。

 慈しむように。

 幾度、身体を重ねたとしても変わることのない、淫らな優しさ。


「可愛い、蓉子さま」


 子供の魅力で。

 大人の魅力で。

 私を絡めとる、細い指。


 祥子の妹(プティ・スール)で。

 私とは、孫とお祖母ちゃん、という間柄。


 祥子に感じていた罪悪感なんて、気がつけば消えていた。

 バレても良いと。

 罵倒されても良いと。

 軽蔑されたとしても。

 それこそ、姉妹を解消されようとも。


 あなたが私に触れてくれるのなら、なんだって。


 広大な海に溺れるように。

 蟻地獄に呑まれるように。

 抜け出せない迷宮のように。


「本当に可愛い」


 年下からのそんな形容。

 恥ずかしいのに、あなたからだと思うと嬉しくてたまらないこの感情。


 私を翻弄するその指は。

 その舌は。

 その唇は。

 とても甘美な、禁忌の林檎のよう。


「好きです、蓉子さま」


 甘やかな囁きに、私の体は反応する。


 祐巳ちゃんの”好き”が、”愛してる”とイコールではないことを知っていながら。

 私は溺れていく。

 今この瞬間、彼女は私だけを見ていてくれるから。


「私も・・・好き・・・祐巳ちゃん・・・・」


 祐巳ちゃんの笑顔は。

 意地悪で。

 残酷で。

 大人な、笑み。


 それでも、あなたへの想いは変わらない。












 あとがき。


 一話完結物です。

 補足をすれば、祐巳さんの想い人は写真の女性。

 過去祐巳と恋人関係にあり、色々と教えて?くれた人。

 でもって、もうこの世にはいない人。

 さらに、みんながみんな、気づいていない。

 なんとなくわかるけど、お互いに関係を持ってることはまったく。

 なんか、変な設定ですね(汗










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