【素敵な笑顔】
「ディーネ」
背中の半ばまで伸びた髪が、風によって翻る。
それを気にした様子もなく、少女は右手を前に出した。
囁くような声に反応したのは、彼女の眼前にある海。
静かに水面は波たち、そこから1人の女性が現れた。
藍と紫の合わさった綺麗な着物を着た女性は、水面を揺らしながらゆっくりと少女のもとへ歩いていく。
日本人を思わせる、闇と同化する漆黒の髪。
その髪はサイドをたらし、あとは後ろで一つのお団子にしてまとめている。
物静かそうな物腰。
歩み寄る足元、すそを少しだけ揺らしながら近づいてくるその姿。
闇の中に浮かぶようにしている姿は、全てを惹きつけるような魅力がある。
出されたままの少女の手に自らの手を重ね、陸に上がるとそのまま少女の前で膝を折った。
まるで、臣下が王にするように。
それが当然であるように。
『お久しぶりでございます、わが王』
「久しぶり、ディーネ」
手の甲にキスを落とし、ディーネと呼ばれた女性は、青白い頬を桜色に染めた。
『今宵はどのような御用事で』
「久しぶりに、ディーネの顔を見たくなっただけ。迷惑かけてごめんね」
『い、いえ。嬉しゅうございます』
少女のその手を大事そうに握りしめ、嬉しそうにはにかむその姿。
絶世の美女でありながら、その顔は幼く、さらに魅力が増す。
しかし少女は、綺麗なその姿に見惚れることなく、ふわりと微笑み返した。
反対に、ディーネがその笑みに見惚れてしまう。
『我が王・・・』
「どうしたの?ディーネ」
少女は膝を折り、ディーネの目線に並ぶ。
ディーネは、禁忌を犯すかのように震える手で、少女に向かっててを伸ばした。
少女はそれがわかっていたかのようにその白い手をとり、手の平にキスを。
『あぁ・・・・っ』
喜びにうち震えるディーネを、少女は引き寄せ、自分よりも高い身長をした彼女を抱きしめた。
ディーネは顔を興奮でか顔をかすかに染め、ダークグリーンの制服に顔をうずめる。
そんなディーネの髪を撫でる手は優しく、彼女は少女の腕の中でうっとりと目を閉じた。
祐巳の父親である祐一郎の家は、かつて、精霊たちと共に生きていた一族だった。
初めは一族のみでの婚姻を行っていたのだが、それにより昔から奇形児が耐えなかった。
それを防ぐためにとうとう他族との婚姻が許された。
しかし、その血は他族と交わるごとにより薄まっていき、今では精霊のことなど忘れたように過ごしていた。
それが、祐巳によって変わった。
ずいぶんと昔に絶えた能力が、祐巳にはあったのだ。
それの証として、体中に模様が浮き出てもいた。
当然、一族のものは騒ぎ、だが今では伝承でしか残っていない能力であるし、それがあるのも祐巳1人である。
一族は再びその能力を得ようと画策し、一族の中でも一番血が濃いであろう者を選りすぐり、半ば無理やり祐巳と婚約させた。
もし子供が生まれ、その子供に能力がなかったとしても、また他のものを選べばいいと勝手に決定し。
もちろん祐一郎たちは反対したが、一族の者たちは受け入れることなどなかった。
たった一人の人生のために、自らの一族の繁栄を妨げるの許さぬ、と。
けれど、彼らにも予想外のことがおこった。
それは、祐巳があまりにも、精霊たちから好かれていたことだ。
祐巳と交わろうとすれば、そのものを精霊たちが攻撃し、殺してしまうのだ。
そうならないために色々策を講じたが、祐巳以外のものにはどうすることも出来ず、祐巳と婚姻を結んだものや祐巳と交わろうとしたものは全員が死んでしまった。
そのため、祐巳は精霊たちと自分を助けようとしてくれる家族にしか、心を開かなくなっていた。
それでも、祐巳の精神面など無視して能力を得ようと、一族はいまだ策を練っているのだから人間とは醜いものである。
「祐巳さん!」
後ろから抱き着いてきた由乃に、祐巳は外面だけの笑顔を向けた。
「もう、由乃さんったら。いつも、急に抱きついてこないでって言ってるでしょ!」
「だって、祐巳さんの抱き心地、良いんだもの。白薔薇さまがいう意味、すごくわかるわ!」
「まったく・・・」
呆れたように装いながら、内心ではその手を振り払いたくて仕方がない。
心を許したもの以外から、祐巳は触られることを酷く嫌う。
全員がそうだとは思っていないが、自分を我が物にしようとしてくる者たちを見過ぎたせいかもしれない。
だから、祐巳は大の人間嫌いだった。
祐巳はその日、誰もこない特別な場所へと向かっていた。
人間がたくさんいる教室も、密室の中に人間たちが集っている薔薇の館も、祐巳は大嫌いだ。
祥子の妹(プティ・スール)になったのは、それが自然な流れだったから。
さすがに2度も断れば、1度目以上に周りから注目されることは必須である。
だから、祐巳は祥子の申し出を受け入れただけ。
だからといって仕事をしない、だなんて真面目な祐巳がするはずもなく、放課後だけは嫌々だが薔薇の館に行っている。
そんな祐巳が、学校内で唯一安らげるのが昼食の時間。
精霊たちと身近にふれあい、人との触れあいに疲れた心を癒している。
「ぷいにゅ〜!」
もう少しで着く、というときに聞こえた、聞き慣れない声。
だが、その声は自分を呼んでいるようで、祐巳は自然と駆け出していた。
見えたのは、白い塊。
「ぷいぃ〜」
「あなた、どこの世界の子?」
祐巳は、そう自然と問いかけていた。
世界って、祐巳は内心首を傾げるが、間違っていないようにも感じた。
「ぷぷい!」
嬉しそうに抱きついてきた塊、もとい猫?を抱きとめ、祐巳はあたりを見渡し、それからその子へ。
「あなた、大丈夫なの?もしかしたら、帰れなくなるかもしれないよ?」
「ぷいぷい」
大丈夫、というように胸を張るその姿に、祐巳はくすりと笑う。
だが、何かを感じたようにある方向へと目を向けた。
そこにあるのは、一本の大きな桜の木。
その根元には、これまた大きな猫が。
胸元にある白い模様。
どこに売っていたのかと問いたくなるくらい大きな服を着ている。
「シー・・・・」
祐巳は、その猫が何者か知っていた。
彼?は『ケット・シー』。
猫の王様といわれている猫妖精(ケット・シー)である。
ケット・シー、祐巳いわくシーは右腕を前にやり、恭しく腰を折って挨拶してきた。
祐巳はシーに微笑みかえし、猫を抱いたままシーに近づいていく。
「どうしたの?シー。あなたが私に会いに来るなんて、珍しいよね」
シーは猫目を細め、祐巳を抱き上げ、そのまま肩に乗せた。
「ちょ、シー?」
シーは猫目を細めるだけで、そのまま歩き出す。
進む先は、大きな桜の木。
「ぶ、ぶつかるっ!」
猫を護るように抱きしめ、太い幹にぶつかる瞬間祐巳は目をつぶった。
だが、次に祐巳が感じたのは、祐巳の住んでいた場所では感じられない、精霊たちの息吹を感じる優しい風。
「え・・・・?」
目を見開いて顔を上げれば、そこは石造りの建物にはさまれた小道。
すとん、と降ろされ、祐巳はあたりを見渡した。
「・・・・まさかここ、あなたの世界?」
「ぷい♪」
祐巳は猫を地面に下ろし、ゆっくりと進んでいく。
少しだけ薄暗いそこから抜けると、太陽の光りがさんさんとふりそそぐ開けた場所。
「綺麗・・・」
建物の壁に手を触れさせ、目を閉じれば祐巳にだけが感じることの出来る、精霊たちの営み。
祐巳の住んでいるところでまずない、のびのびとすごす精霊たちの声が。
「素敵なところ・・・・」
「ぷぷい♪」
自分の住んでいる場所が褒められたからか、猫は嬉しそうに鳴く。
祐巳は目を開け、そんな猫に微笑みかけると振り返り、シーを見た。
「ありがとう、シー」
シーはそれに頭を下げた。
『ご自愛くださいませ』
祐巳にだけ聞こえた声。
祐巳はそれに笑みを深め、近づいていく。
「ねえ、シー。我侭言ってもいい?」
細まった猫目が、先を促す。
「私、ここに住みたいな。ここに家族がいないのは悲しいけど、それ以上にあの人たちもいない」
一瞬だけ変わった、無表情。
それは無表情とも呼べないくらい、無機質で機械的なものだった。
シーがそっと、抱きしめてくる。
祐巳も、シーを抱きしめ返した。
『なにか困ったことがありました、お呼びください』
シーは離れ、腰を折ると重さの感じさせない足取りで通りの暗闇へと消えていった。
残ったのは嬉しそうな笑顔の祐巳と、そんな祐巳を見上げている猫。
祐巳はそれに気づき、笑顔で猫の前にかがんだ。
「そういえば、あなたの名前を聞いてなかったね。あなたのお名前は?」
「ぷいにゅ!」
「アリア・ポコテンって言うんだ。いい名前だね」
「ぷいぷい?」
「私?私は、福沢祐巳だよ。よろしくね」
手を差し出すと、猫、アリアはその手をとって上下にふる。
「ふふ、頭がいいんだね、アリアは」
「ぷぷい!ぷい〜にゅ、ぷい、にゅ〜、にゅ!」
「火星猫?あ、確かに、目が青いね」
ふむふむ、と頷く祐巳。
「へー、ここって元々火星だったんだ・・・」
祐巳は立ち上がり、あたりを見渡す。
見慣れない景色、大嫌いな一族のいない風景は、祐巳に温かい心を運んでくれる。
「さて、と。これからどうしようか、アリア。・・・・・アリア?」
だが、
アリアに声をかけてみるが、返事が返ってこない。
振り返ってみても、先ほどまでいた場所にアリアはいない。
「もしかして、狭間に入ったかな?」
祐巳はあたりを見渡しながら頬をかき、ため息をつく。
狭間とは、次元と次元の間のことだ。
今の能力に目覚めてから、祐巳はこうなることがよくあった。
精霊という、人ではないものに好かれ、そして祐巳自身も好いているからだろう。
それでも、しばらく動き回れば勝手に出られることを知っている祐巳は、慌てず足を進めた。
今まで見ていた世界とは違う、白黒の世界。
寂しいと感じてしまうであろう景色。
それでも、祐巳はこの世界が好きだった。
落ち着くから。
しかし、今はのんびりしている場合ではないのだ。
アリアがいるし、アリアから見れば自分は消えたように見えるだろうから。
「あ、出られそう」
そして、ようやく道の先に光りが見え、祐巳は駆け出した。
眩しい光に目を閉じ、次に見えたのは水。
「ふぇ?」
駆け出した状態でそうやすやす止まれるわけはなく、祐巳の体は前に傾いていく。
「ちょ、ちょっと待ったーーー!」
「大丈夫ですか?」
まさに、水に落ちる、というところで、急に現れた舟(ゴンドラ)が祐巳の体を受け止めてくれた。
「うぶっ!?」
「あらあら、怪我はありませんか?」
打ちつけた鼻を押さえて祐巳が顔を上げれば、自分よりも少し年下の少女が心配そうに祐巳を見つめていた。
祐巳はそれに瞬時に仮面をつけ、微笑む。
「鼻がちょっと痛いけど、大丈夫だよ。ありがとう」
「いいえ。急に飛び出しては、危ないですよ」
「そうみたい。今度から気をつけるね」
「ここには観光で?」
「ううん、移住。といっても、まだ家さえ見つかってない状況だけど」
たはは、と恥ずかしそうに笑って見せながら、いつものように警戒していた。
それは、祐巳にとってはもう癖のようなもの。
境遇ゆえの、悲しい癖。
少女はそんな祐巳に気づいていない様子で、ふんわりとした笑顔を返してきた。
「うふふ。きっと、好きになりますよ。ネオ・ヴェネツィアはとても素晴らしいところですから」
「うん、少ししか見てないけど、それは感じる」
「少ししか見ていないんですか?」
「うん。着いたばかりだから」
そういうと、少女は手をぱふ、と叩いた。
「でしたら、ご案内しますね!」
「え?」
「まだ半人前なので、お客さんを乗せることができませんが、お友達としてならかまわないんです」
純粋な好意による笑顔。
見ているものにも、笑顔を与えてくれるような笑顔。
それを見て、祐巳もうっすらと微笑んだ。
仮面ではなく、素で。
それは小さいものだったが、祐巳が久しぶりに他人に向ける笑みだった。
「それじゃあ、お願いしちゃっても良い?」
「はい♪」
「あ、そうそう。私は福沢祐巳、あなたは?」
「そういえば、言っていませんでした。私はアリシア・フローレンスです。では、進みますね」
ゆっくりとした動作で、少女、アリシアが舟(ゴンドラ)をこぎ始めた。
祐巳は手を水面につけ、それをすくう。
「綺麗な水・・・」
「はい、とっても綺麗なんですよ」
「そうだね」
祐巳は笑みを深め、精霊たちを感じるために目を閉じた。
そんな祐巳の顔には、自然と浮かんでいた優しい笑み。
祐巳と向かい合わせで舟(ゴンドラ)をこいでいたアリシアは、その表情に見惚れ、こぐ手を止めてしまう。
しばらくして、舟(ゴンドラ)が止まったことをてに感じ、祐巳は目を開けてアリシアを見た。
「アリシアちゃん?」
「あ・・・、すみません」
慌てたようにこぐ手を再開させ、集中するように前を向いた。
祐巳はそんなアリシアに首をかしげながらも、体全体に伝わってくる精霊たちの息吹に心を奪われ、再び目を閉じる。
「あ・・・・」
「ん?」
祐巳がゆっくりと目を開け、アリシアを見た。
アリシアは恥ずかしそうに苦笑を返してくる。
「案内しますって言ったのに、全然案内していませんでした」
「あ、そうだったね」
祐巳自身も、ゆったりとしていてそのことを忘れていた。
それを自覚して、くすりと笑う。
「祐巳さん?」
「ううん。・・・アリシアちゃんて不思議だな〜って思って」
アリシアは、祐巳に見つめられ、頬がなんだか熱くなっていくのを感じた。
「なにがでしょうか?」
「うん?・・・その雰囲気が」
祐巳はふわりと笑った。
それは、他人に気を許さなくなってから初めての、そして精霊たちにしか見せなかった笑み。
とても魅力的で、綺麗な笑みだった。
「雰囲気、ですか?」
「うん。今の私に成ってから初めてかな?こんなに簡単に、私の心を穏やかにさせてくれる人」
「???」
首を傾げるアリシアに、祐巳は笑みを深め、街を見渡す。
「ここに暮らしていたら、私もなれるかな」
「え?」
「アリシアちゃんみたいに、素敵な笑顔ができる人間に」
「・・・・祐巳さんの笑顔は、とても素敵です。とても」
よくわからないだろうに、それでもアリシアはそう言ってくれる。
祐巳はそれが嬉しかった。
「ありがとう、アリシアちゃん」
アリシアは、まったく意味がわからなかった。
それでも、祐巳の笑顔は今まで見た中で一番綺麗で、素敵だと感じた。
「はい」
だから、アリシアも笑顔を返した。
祐巳が、素敵だといってくれた笑顔を。
ブラウザバックでお戻りください。
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